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写真に眠る街の記憶と現代を生きる学生をつなぐ:「写真の町シバタ」プロジェクト

8/11、新潟県新発田市にて、「写真の町シバタ」プロジェクトの活動に、敬和学園大学の学生たちと参加してきました。このプロジェクトについては、以前に新潟日報モアのブログでとりあげたことがあるのですが、具体的な活動に参加するのは私も初めてです。

写真の町シバタ
「写真の町シバタ」:新発田の歴史と未来を「写真」で引き出す|ソーシャル編集委員 一戸信哉「新潟ソーシャル時評」|モアブログ|新潟日報モア

このプロジェクトでは、商店街の皆さんに古いアルバムに眠る写真から、城下町新発田の歴史や人々の記憶を掘り起こしています。

店頭展示の風景

商店街の方からとっておきの一枚を選んでいただき、これを引き伸ばしてきれいに額装し、店先に展示してもらうという活動のうち、今回は最初の写真の選定作業に学生たちが参加、その様子を映像取材させてもらいました(後日Youtubeで公開するほか、プロジェクトの紹介映像としても利用される予定です)。

竹内旅館

竹内旅館でお話
[[image:image02|center|竹内旅館でお話]]

出演してくれた学生メンバーは全員新発田出身なのですが、これまで商店街との接点は少なかったようです。これも地方都市新発田が抱える現実でしょう。とはいえ、学生たちにとっては、自分の住む新発田市の街の人々に出会い、写真を通じてその歴史を知るなど、さまざまな発見をする機会となったかと思います。

田中時計店
田中時計店で写真選び

学生たちは10−20代。プロジェクトのメンバーや自分は30−40代。訪問先でアルバムを引っ張りだしてくれる人は、若い方もいるのですが、写真自体は明らかに60代以上の人々のもの。この世代間ギャップを埋めるのはつくづく大変だなと感じました。写真で語られている内容を理解するには、新発田のまちなかで暮らしている人たちが共有しているコンテキストを理解する必要があり、世代間ギャップも超える必要があります。プロジェクトに関わっている、私と同世代のメンバーが、「翻訳」をしてくれる場面もあり、同世代の役割の重要性も非常に感じました。

新発田市は城下町であり、その後も軍都として栄えた歴史があります。こうした街にはさまざまな歴史的な記録、繁栄の記録が残っています。残念ながらそれをそのまま取り戻すのは非常に困難ですが、今を生きる学生たちが、新発田が繁栄していた時代を知り、それを別の形で継承していくために、写真を通じてバトンを受け取ることはできるような気はします。若者のライフスタイルと記録の中に残っている「繁栄」の間にある、ギャップは大きいのですが、豊かな文化があったということを知ること、さらにはその時代を知る人達とつながることで、学生たちの地元新発田に対する見方を、少しは変化させられたのではないかという気がします。

撮影の最後には、ちょうどお盆前ということで、市内で開催されていた、お盆前の伝統的な市「花市」を見学。これまた新発田出身の学生たちにとって、全員初めての「花市」体験となりました。さらに「花市」に出ていたちんどん屋についても、「あれは何ですか?」と学生たちにきかれて、説明することに。なるほど、自分ももう10数年とちんどん屋をみた記憶がなかったわけで、学生たちが知らないのも無理ないのかもしれません。

花市
ちんどん屋

実は私も最近まで、この新発田の「花市」のことは知りませんでした。かつては花屋などの露天が道を埋め尽くしていたようですが、今はポツポツと間が空き、静かなローカルイベントになっていますが、これはこれでよい雰囲気の、風情あるイベントでした。タイの郊外で見かけた観光化されていないナイトマーケットを思い出しました。ここにはまだ、写真だけでなく、現実のイベントとして残っている、街の記憶がありました。

花市/にいがた観光ナビ

写真に眠る街の記憶と現代を生きる学生をつなぎ、その先に何があるのか。実はまだよく見えないのですが、古い写真を媒介にして、地域の人々が世代を超えてつながることはできるのではないか。充実感あふれる学生たちの表情から、少し期待感を持ちました。

【追記】当日の様子をまとめた短い動画をYoutubeにアップしています。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

最北に暮らす若者が映像で語る地域:観光地稚内の日常は、「内地」の人々に何を伝えるか

私の前任校稚内北星学園大学の学生たちが、「私の暮らすまち、稚内。」を短い映像作品にまとめたものが、先月開催されたわっかない白夜映画祭で上映されています。また、このとき上映された作品がYoutubeに公開されています。北海道稚内市は、日本最北端の街です。最北端に暮らす若者のリアルな思いが、映像に現れているように思います。

第1回白夜祭:日本一短い夏至の夜を楽しんで…稚内 – 毎日新聞

私の暮らすまち、稚内。 – YouTube

いくつかの作品を見て、私にとっては、稚内に暮らしていた時の感覚を呼び起こすような懐かしさがあるわけですが、本州(北海道の人たちは、今でも「内地」という言葉を使います)に戻ってきてからの自分の感覚で考えると、「遠い」作品です。この「遠い」という感覚はどういうことなのか、考えてみました。

中央のマスメディアが伝える情報は、地方に行けば行くほど、遠い「東京からの情報」になります。その意味で言うと、稚内で見る「東京からの情報」は、相当に「遠い」です。この「遠さ」を補うのが「地方紙」などの地域メディアですが、これもカバーするエリアが広くなると、遠い「県庁所在地からの情報」を流す存在になります。

北海道の場合には、道庁のある札幌の存在感が大きく、札幌近郊とそれ以外のギャップが大きいです。大学教員として6年間暮らした稚内では、東京ははるか遠くにあり、札幌も結構遠くにある(たしか360キロ離れている)都会です。どちらのニュースも遠い世界の出来事のように感じます(もちろん陸続きの札幌は相対的には近いのですが)。

北海道新聞はブロック紙の一角を占める大手の地方紙ですが、稚内は北海道の中でもさらに遠く離れた「地方」ということになります。地方の中の地方である稚内には、全国紙の取材体制は十分になく、テレビ局もNHKの報道室があるだけでした。「地方の地方」たる地域に関する情報は、札幌や東京のメディアに取材されて伝わっていくことはほとんどなく、稚内や宗谷地域限定の地元紙の中だけで共有されることが多いです。人々のメディア空間は、インターネット時代になって、変わった部分もあるのですが、この「遠さ」を背負ったままであるように感じることが多かったように思います。

一方、都会の人が稚内のことを知らないわけではありません。都会の人から見れば、稚内は「辺境」ですが、同時に宗谷岬があり、カニがあり、近くに利尻・礼文のある「さいはての街」として知られています。いいかえれば観光地として、稚内はある意味「エッジが立った」状態にあり、この角度での情報だけが、いわば「つまみ食い」され、多く流通しています。

結果的に稚内という街は、観光地としてのエッジの立った部分だけが「全国区」となっていますが、この街で暮らす人達のことは、ほとんど知られていません。観光地である地方都市というのは、大なり小なりそうだと思いますが、稚内を始めとする北海道の地方都市の場合には、北海道特有の複雑なメディア構造の下で、この傾向がさらに強まります。結果的には、稚内の人たちも、自分たちのことを中央メディアを通して共有する機会が、非常に乏しくなります。

最北の大学で映像制作の授業が始まったのは、私が赴任した2000年ですが、それから14年、この授業では稚内や宗谷をさまざまな角度から伝え続けています。最初はYoutubのような動画共有サイトはありませんでしたので、当初の作品はどこかにお蔵入りしているようですが、ここ数年の作品はYoutubeにアーカイブされています。映像制作を指導している教員も、私が教えていた時代に学生であったNPO法人のメンバーが担当するようになりました。

稚内北星で制作された動画は、数々の映像賞をとるなど、高い評価をえていますが、地元と都会、それぞれの世間の関心の間隙、谷間に沈みがちな「稚内ローカル」だけを狙った作品ではなく、「内地」の人の関心を意識して作られていたように思います。以下はいくつもの賞を受賞した作品「待合室の片隅で」。建て替えになった稚内駅で営業していた立ち食いそば屋を巡るストーリーで、最北を目指して旅をした人々の心をくすぐりつつ、題材は地元の人々の暮らしです。決して稚内人の関心だけに向けて作られているわけではないと、私は感じています。

今回の作品は、うってかわって非常に「稚内ローカル」な作品です。地元出身の学生たちが、自分たちの思い入れのある場所について、そのストーリーを短い映像で紹介しています。南小学校や南中学校への思いは、稚内人ではない人には「遠い」ものですが、現地で6年暮らした私には懐かしくもあります。観光地ブランドの稚内ではなく、日常の稚内とそこに暮らす人々の思いは、観光地として稚内に来たことがある人や、全く縁のなかった人たちに、何らかの形で「最北」の一断面を伝え、心のなかに何かを残すことができるのか。この動画への反響に、注目したいと思っています。

(Yahoo!ニュース個人より転載)

Chromecastで「テレビ」が変わり、「動画」も変わる

2014年5月28日、GoogleのChromecastが日本でも発売されました。

Chromecast

キャッチフレーズは「オンライン動画を音楽を、テレビで簡単に楽しもう。」。これまでもYoutube動画を検索してテレビで再生することはできたし、テレビにPCを接続することだって出来たわけで、Chromecastで何か革命的なことが起きたわけではないです。でも「簡単に」なったのはまちがいない。値段も手頃なので、さっそく私も1台購入して試してみました。

Chromecast端末をテレビのHDMI端子に挿して、初期設定。iPhoneにChromecastのアプリを入れて、端末をWi-fiに接続。特にトラブルもなく、あっという間に設定が終わりました。Mac Book Airでは、Google ChromeにChromecast拡張をインストールして、こちらもすぐに設定が終わりました。この程度の設定でいいのであれば、自宅だけでなく、いろいろなところに持っていって、出張動画上映会なども簡単にできそうです。

とりあえず試したのはYoutube。再生画面にChromecastに送るボタンが出てくるので、それを押すとテレビに動画が飛ばされて再生されます。動画が一旦テレビ側で再生され始めたら、iPhoneでもMacでも、別の作業をすることが可能です。動画以外に何ができるのかは、まだ試していませんが、Mac Book AirのChromeブラウザでは、ブラウザの画面をテレビに表示させることも出来ました。Slideshareを使えば、スライド表示にも使えます。ケーブルの抜き差しなどは一切不要で、スマートフォン、タブレット、PCなどで見つけた動画やコンテンツを、すばやくテレビに出力し、みんなで共有できます。

ちょっとだけいじってみて感じたのは、これはテレビの見方が変わるな、ということ。これまでも、テレビの視聴時間を、ネット動画が徐々に奪ってきました。若者の間では、テレビは見ないけど、ネット動画は見ているという層がどんどん拡大、学生たちと話していると、テレビ番組の話題はほとんど共有されなくなってきているように感じます。しかし中高年の場合には、テレビ番組の存在感はあまり変わっていません。テレビニュースを見るのをやめて、ニュース動画を見よう、という人はあまりいないでしょう。「ダラ見コンテンツ」としてのニュースを、ネットを介してテレビで見るというのは、やはりちょっと面倒でした。Chromecastは一つのきっかけだと思いますが、このバランスは今後大きく変わっていくかもしれません。ネット動画がテレビ画面にいよいよ侵食してくる一方、テレビ番組のコンテンツも、ネット側に今まで以上に浸透し始めるでしょう。ネットに浸透していくことができるコンテンツはどんなものなのか、有料配信が軌道に乗るならば、ネット配信に適した番組にテレビ側がシフトしていく可能性も高まりそうです。

ネット動画の側にも変化がありそうです。まず一つには画質。高画質の動画が増えてきたとはいえ、大画面で見るには荒い動画も、まだまだ多いです。これまでは「まあネット動画だしね」といっていた低い期待値が変化し、要求水準が上がってくることが予想されます。もう一つは長さ。これまでは長い動画は再生されないというのが定評で、人気動画番組の多くも、非常に短くまとめられたものでした。Ustreamなどで配信した番組をアーカイブした長いコンテンツは、なかなか再生数が伸びませんでした。しかしChromecastが簡単に「ダラ見」できる仕組みを提供したことで、これも変わってくる可能性がありそうです。テレビを「ダラ見」するのではなく、長めの動画を「ダラ見」することも、徐々に広まっていくかもしれません。

実はAmazonに注文したChromecastを受け取り、テレビに接続しようとしたところで、我が家のテレビにはHDMI端子が一つしかないことがわかり、ビックカメラ新潟店に分配器を買いに行ってきました。ビックカメラはChromecastの代理店の一つですが、Chromecastの売り場は、正直盛り上がっているようには見えませんでした。Chromecastは非常に簡単な仕組みでは有りますが、何が起こるのか直感的にはわかりにくく、発売直後に通常のテレビ視聴者が飛びつくまでにはならないということのようです。しかし設定は簡単ですし、値段も手頃ですから、対応するコンテンツが増えてくれば、徐々に利用者も増えてくるのではないかという気がします。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

日本人のコミュニケーションを風刺した動画「日本語喋ってるんだけど」が話題に

見た目はすっかり欧米出身の人だけど、流暢な日本語を話すという人も、最近は増えてきています。しかし、それでもなお、外見で判断して、「この人は日本語を話せないはずだ。しかし私は英語が話せないぞ。どうしよう。」と戸惑ってしまう日本人は多いです。そんな日本人に遭遇してしまい、困惑する人たちの様子を、コミカルに表現している動画「But we’re speaking Japanese! 日本語喋ってるんだけど」が、話題になっています。

この動画は、日本語だけではなく、英語のブログでも紹介されています。

VIRAL VIDEO: ‘But We’re Speaking Japanese’ Global Voices

日本人でこの動画の存在に気づくような人からみれば、「日本人はこんなにひどくない。外国人のほうが意識過剰なだけでは?」ということになりそうです。実際そんな意見も散見されます。しかし高齢者を含めた日本人の多くが、外国人にどんな態度をとっているか、風刺を含めて表現すると、まあこんなところではないかという気もします。

実際にはむしろ、日本語を話すと「こっち側の人」だと信用してしまうという問題のほうが大きいのではないかと思います。つまり日本語が話せない人とはなかなか心が通じて話をできない(ような気がする)けれど、相手が日本語を話しだすと、急に信用できる相手のようになってしまうということです。外国人が日本語を話すということについて、もともとの期待値が低く、初対面では必要以上に構えてしまいます。しかし、相手が流暢に日本語を話し始めると、日本人相手ならば「腹のうち」をいろいろ考えて話をするところ、一気に心を許してしまうところがあるように感じます。

極端な話、日本でスパイ活動をやろうと思うならば、日本人並みの日本語を身につけること。そうすれば、相手(日本人)はすぐに心を開くようになる。そこまでいったらいいすぎかもしれません。しかし肌の色だけで日本語能力は推し量れないけれども、日本語能力だけでその人の信頼性も推し量れない。至極当たり前なのですが、そのことをこの動画を見ながら考えました。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

Google Glassでヒマラヤの旅:Glassでつなげたいもの、つなげたくないもの

Google Glassをかけて来店した客を、レストランが入店拒否してはいけないのか。その店はどんな評価を受けるのか。
都市におけるプライバシーとGoogle Glassの関係が、ますますクローズアップされつつあります。

携帯電話禁止やドレスコードを設けるレストランがあるということは、グーグルグラスに関してもの申すレストランが出てきても不思議ではありません。が、残念ながらそのようなお店では、支持者と反支持者がうまれ、バトルが始まるようですが…。

グーグルグラス着用で入店拒否のレストラン、店とユーザー間でバトル勃発 : ギズモード・ジャパン

レストランは、Yelp、食べログなどでつねに評価を受けています。ウェアラブルデバイスの利用について、社会的合意がない中では、「Google Glass禁止」のポリシーが、お店にとってプラスに働くのかどうか、まだまだよくわからないところがあります。

Google Glassで、どれだけのプライバシー情報が目の前に可視化されるのか、まだ使ってはいない私には想像するしかありません。
昨年度開催した情報ネットワーク法学会の研究会では、交際ステータスなど、前を歩いている見知らぬ人達の情報が、Glassに簡単に表示されるのではないかという「未来」が、予想されました。

グーグルグラスですれ違った女性の情報がだだ漏れに? | 情報ネットワーク法学会

また、都市がこれまで保証してきた匿名性が、ソーシャルメディアの普及によって失われ、匿名性がもたらしてきた、都市の創造性も奪われるのではないかという指摘もありました。

ソーシャルパトロールが都市の創造性を奪う? | 情報ネットワーク法学会

飲食店やコンビニなど、近隣のお店の多くで学生に遭遇して息苦しい、というのは、地方勤務の大学教員がよく体験しています。都会から地方に引っ越して10数年経った私は、その環境にすっかり慣れましたが、たしか最初は、いつも監視されているような気分でした。同じ状態がソーシャルを通じて、都会でも発生するということなのでしょう。ただし、地方で起きていたのは「どこにでも知り合いがいる」という状態なのに対して、ソーシャルがもたらすのは「知らない人にも素性がバレる」ということなので、実はちょっと意味合いが違います。「知らない人の素性」というのは、普段は誰も気にかけない情報なのですが、何かの拍子で注目されると、その人の「素性」への注目度が一気に上がるということでしょう。いい面も悪い面も、白日の下にさらされる(というよりは、もともと見えているものに周りが注目する)ことになります。

というわけで、「つなげる」とろくなことが起きないという長い「前振り」となりましたが、全くつながっていない場所に行くと、価値を持つこともあるという映像が、Googleから公開されています。Glassのマーケティング担当者が、Google Glassをかけてネパールとブータンを旅してきた時の映像です。両国とも、先進国と同じ環境で、高速インターネットが利用できる環境ではない、といっていいでしょう。

「つながっていない」国を旅する中で、出会った人々や風景を撮影してしまうと、貴重なそのシーンを自らの目に焼き付けられなくなることがあります。「撮ってないで自分の目に見ろ。」という話です。しかしGoogle Glassならその点を意識することなく、見ているものをそのまま撮影できるのだ、ということなのでしょう。たしかに貴重な体験の数々が、きわめて自然に、美しい映像でまとめられています。

都市では、狭い空間に人々が暮らしていく中で、互いに距離を保つ術を確立してきたわけですが、それが徐々に壊されつつあるという危機感が、醸成されつつ有ります。しかしちょっと場所のコンテキストを変えると、状況は異なるのでしょうか。映像の中に出てくる、ネパールやブータンの人々の権利はどうなのか、考えてみるといろいろ問題もあるのですが、少なくとも撮る側の感じるプレッシャーは、大きく変わります。ブータンの子どもたちにとって、Googleの動画に写り込んでいることは、どんな意味があるのか。意味はあると思いますが、それは、日本国内の小学校で撮影された子どもたちの写真とは、意味が違うように見えるわけです。

その究極の形が、北朝鮮の人々を「隠し撮り」した、エリック・ラフォルグさんの一連の写真でしょう。

北朝鮮の地方の姿、フランス人カメラマンが隠し撮りでとらえた【画像】

リアルな北朝鮮を伝えるEric LafforgueさんのFlickr | ICHINOHE Blog

これは場所だけでなく、時間を変えた場合にも同じことが言えます。過去の写真や映像の場合、関係者もいなくなり、プライバシーへの配慮よりも、リアリティを人々は求めます。したがって、プライバシーに配慮した結果、モザイクだらけになっている最近の記録写真や映像は、少なくとも後の世代には、不満足な記録になってしまうのではないかと思います。

答えはありません。しかしGoogle Glassのようなウェアラブルデバイスの進化は、「つなげるもの」と「つなげないもの」の線引きについて、さらに考えを深めていくことを要求しています。今は主に、「便利だよね」と「こわいよね」の間でせめぎあっていますが、場所や時間を超えて、何を共有すべきなのかというのもまた、一つの論点なのではないかと思います。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

Pharrell Williams 「HAPPY」徳島版:阿波踊りが見事にフィット

Pharrell Williamsの「HAPPY」のリップダブ。AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」までのブームは、日本では起こらないと思うけれど、逆にこちらのほうが高品質な映像が多いという印象だ。

今日見たのは徳島バージョン。阿波踊りの映像を「Happy」に合わせている。

阿波踊りの練習風景、お店の前や河原で阿波踊りを練習する家族などが出てきて、徳島人の日常の中に阿波踊りが深く浸透しているのだなという印象を持つ。もちろん本番のお祭りの映像は、見事に息のあったパフォーマンス。この夏は徳島に行ってみようか、という気持ちにさせられる。

面白いのが、阿波踊りのオリジナル音声は一切出てこないのに、曲と映像が見事にマッチしていること。今回のリップダブに合わせて撮影したものではなく、過去に撮影した阿波踊り関連の映像を使っているのだろうけど、全く違和感がない。

阿波踊りとマッチしすぎ!徳島バージョンの『Happy』が最高♪ | ダンス動画まとめ ダンスストリーム(Dance Stream)

新潟観光の「眠れる獅子」、佐渡は変われるか?:佐渡市が「観光」「広報」の戦略官を採用

4月から佐渡市が採用した、「観光」と「広報」の戦略官について、朝日新聞がインタビューを行っています。
この件は一度別のところでも書いているのですが、インタビューが出たので、あらためてYahoo!個人にも書いてみることにします。

新潟ソーシャル時評:湯沢の南雲純子さんが佐渡の観光戦略官に | ICHINOHE Blog

佐渡市が4月、新たな非常勤特別職「戦略官」を設けた。全国的に知名度の高い観光地でありながら、来客は落ち込むばかり。島のPRも上手とは言い難い。市は民間で10年以上の職歴を持つ女性2人を戦略官に任命し、佐渡の振興に期待をかける。

新潟)佐渡市戦略官登場 島外女性2人が描く佐渡再興:朝日新聞デジタル

新潟は観光地として大きな可能性を秘めながら、地味さをなかなか払拭できていないということは、以前も書きました。

観光地としての新潟は「地味さ」を解消できるか(一戸信哉) – 個人 – Yahoo!ニュース

新潟県内はみな、似たような状況にあるのですが、その中でも特に、大きな潜在的可能性を秘めつつも、観光客の落ち込みに苦しんでいる「眠れる獅子」として、佐渡を挙げることができます。世界遺産をめざす佐渡金銀山など鉱山遺跡をはじめ、自然も文化も豊かな場所なのですが、残念ながら新潟県内での認知度もさほど高くなく(修学旅行で金山の蝋人形を見て、それ以外を知らない人も多いようです)、県外からのアクセスも良いとは言いがたいです。団体旅行中心の集客からうまく脱却できなかったのが、落ち込みの原因と指摘する声も聞きます。記事の中でも、「佐渡島の観光客は1991年の121万人をピークに2011年には53万人に減っている」としています。

そこに報酬1日5万円×月8日の特別職を採用して、テコ入れをしようというのが、今回の佐渡市の試みです。実際、募集の段階で、私の周りでも、ソーシャルメディアを介して話題になりました。記事を見ると、佐渡の中でも賛否両論がある中、最終的に甲斐市長が決断したということのようです。

新たな特別職導入には、市議会から「月8日間ではなく常勤が良いのではないか」「報酬1日5万円の費用対効果はどうか」といった疑義もあった。だが、甲斐市長は戦略官着任の記者会見で「(導入は)私が決めた。佐渡には素晴らしいものがあるのに戦略がない。2人には大変期待している」と話した。

新潟)佐渡市戦略官登場 島外女性2人が描く佐渡再興:朝日新聞デジタル

外から戦略官を採用するということですから、地元には「お手並み拝見」という空気もあることでしょう。実は、発表直前の3月末に知ったのですが、観光戦略官は、越後湯沢でご縁のあった南雲純子さんでした。新潟県湯沢町を拠点に、リクルートで湯沢観光の仕事をされていたのですが、私が大会委員長として関わっている[http://www.anisec.jp/yuzawa/ 情報セキュリティ・ワークショップ in 越後湯沢 ]の中で、地元との交流イベントの企画を、数年間一緒にやらせていただきました。

彼女の視点も、個人向けへのシフトという点に注がれています。

――佐渡観光の弱点は

 素晴らしいものがありすぎて情報が整理できていない。個人旅行のプランがつくりづらく、交通の便がいい定番コースを選びがちだ。一般的に観光施設に行く客は「1度でいい」となるので、趣味や興味を軸にしてリピーターを増やす。

 季節変動も大きい。オフシーズンを短くし、ピークとオフの間の「ショルダー期」にも力を入れる。佐渡なら6、7、9、10月がポイントだ。

――なぜ佐渡は自ら弱点を克服できなかったのか

 旅行会社がパッケージを組んで団体客を送り込んできた。船賃からも、その方が安い。だから個人客の対応が遅れた。市民も観光事業者がやればいい、と思われていたのではないか。

――何から着手するか

 ワークショップを開き、観光素材の棚卸し。それをエリアや興味別などに整理。そしてターゲットを想定する。仕事ばかりで会話のない東京在住の父と小学5年息子と、仕事に疲れた新潟市の30代独身女性ではおすすめルートは違う。トイレ整備も必要。佐渡は悩みや不安を抱えている色々な人を楽しませる力がある。観光素材を磨きあげたい。

新潟)佐渡市戦略官登場 島外女性2人が描く佐渡再興:朝日新聞デジタル

すでに南雲さんは、 佐渡旅(sadotabi)というブログをスタートさせていて、佐渡の知られざるおもしろスポットの紹介記事や、知っている場所だけど見る目が変わる紹介記事を、1日1本のペースで書かれています。彼女のいう「磨きあげ」の一環でしょう。「トイレ整備」の話が出てきますが、ブログを作って広報するのは彼女が孤軍奮闘すればできるのですが、観光に必要なインフラ整備には、関係部署の協力が不可欠。市長肝いりの戦略官とはいっても、実際どこまで後ろ盾できるのか。新潟大学の田村先生が「採用側の行政は戦略官の良さを引き出し、受け入れる態勢があるか。」という指摘をしています。試されるのは、戦略官本人の力だけではなく、地元の覚悟ということになるでしょう。

ブログでの情報発信は、すでに興味を持っている人が、さらに深堀りしようとしてたどり着く場所です。この点は、多くの人々の生活空間になっている都会とは大きく異なり、いくらいい記事を書いていても、全く佐渡に興味のない人は、なかなかこのページにたどり着くことはないのでしょう。

その意味では、広報戦略官の田中雅子さんの働きも合わせて、佐渡そのものへの関心をどのように高めるかも、大きな課題になると思います。

私も一昨年の夏、ゼミの学生たちとともに、1泊2日で佐渡を一周しました。一周200キロ余り、実際にはあちこち寄ったのでもう少し距離は走っているのですが、佐渡の広さを実感する旅でした。学生たちがゼミ合宿のタイトル(?)を「のへさど」(ゼミ名である私の名前をもじった)として、ダイジェスト動画を作成してくれました。夏の佐渡の雰囲気を感じてもらえるかと思います(「ダイジェスト版」を作ったところで満足してしまい、完成版は公開されていません)。

2日目の午後になって、一部の学生が「吉野家食べたいよね」と言い出しました。自然豊かな佐渡にも、ファーストフードやチェーン店のようなものも一部あったと思いますが、なにせ広いですから、場所によっては簡単に行ける場所にあるわけではないのです。ファーストフードに飼い慣らされてしまった学生の様子に半ば呆れつつも、一方でこうした均一化された食習慣に対応できないのは、離島にとっては大きなハンデなのだろうと感じました。その一方で、均一化された食習慣に慣らされた地域に暮らしている立場からすれば、そうではない佐渡には、大きな魅力があるようにも見えます。

このギャップをどのようにとらえて、それを埋めながら、観光を含めて、「眠れる獅子」佐渡の魅力を発信していくのか。二人の戦略官は定期的に島外から通って仕事をするそうですが、「よそもの」として仕事に、今後も期待して見ていきたいと思います。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

弘前さくらまつり開幕:「お城と桜」の定番風景は、今年をのがすと、しばらく見ることができなくなる?

私の故郷である青森県弘前市の春のイベントといえば、GWが見頃となる弘前さくらまつり。今年も4月23日に開幕しています。

毎年開花の時期がいつになるか注目されるのですが、今年は28日が満開だそうで、期待通りGW前半が見頃になりそうです。かつて毎年のようにGWに満開を迎えていた弘前公園の桜ですが、昨今は温暖化の影響で開花が早まっていて、例年私が帰省するGW後半には「葉桜」になっていることもあります。市の関係者はあの手この手で開花時期を遅らせているという話も、よく聞きます。

弘前市には、「お城と桜とりんごの街」というキャッチフレーズがあります。りんごの産地である津軽地方ですので、りんごは当然に街のシンボルですが、それと同等に弘前城とその周りに咲く桜が、街を象徴する要素になっているわけです。石垣の上に立つ弘前城天守閣をバックに、桜が咲き誇る様子を、赤い下乗橋の上(やその近く)で写真に撮るというのが、市民にも観光客にも定番になっているように思います。

実はこの定番シーン、来年からしばらく見ることができなくなります。石垣の大規模修理が必要になったため、天守閣を移動させて、10年かけて大掛かりな修理を行うのだそう。

弘前城は2007年からの市の調査で、天守閣の石垣が東に約1メートル張り出していることが判明。崩落の恐れがあるため、市は約100年ぶりとなる大規模修理を実施することを決めた。
 市によると、修理は秋からで、重機を搬入するために内堀の一部を埋め立てる。石垣を積み直すため、天守閣も来年のまつり後に移動する。
 土台を持ち上げ、レールで動かす曳屋(ひきや)と呼ばれる方法を使う。本丸の北西方向に約70メートル移すため、有名な下乗橋の撮影ポイントからは写らなくなる。
 天守閣を移した後は約3000個の石を隙間なく積み直す。天守閣が元の位置に戻るのは5年後、工事全体の終了は10年後を見込んでいるという。

弘前さくらまつり開幕 今秋から石垣改修工事でしばしの別れ | 河北新報オンラインニュース

どのように工事が行われていくかは、こちらの動画でごらんになることができます。

弘前公園はその名もズバリ「城が動く」というウェブページを作っています。

弘前城石垣修理事業「城が動く」 | 弘前公園総合情報

元の風景に戻って写真が撮れるのは10年後。自分自身や家族が10年後どうなっているのかなあと思うと、今年はぜひ家族でこの場所で写真を撮っておいて、10年後にまた同じ構図で撮りたいものだなと、個人的には思っています(実際には混み合っていて、この場所で、家族揃っての撮影はなかなか難しい?)。「弘前の桜」を見たいという方は、ぜひ今年弘前までおいでになるとよろしいかと。修復前の弘前城の、はらみのある石垣を桜とともに見たいという、「石垣ファン」の皆さんにも、オススメできます。

もちろん弘前公園には、他にも桜が美しく映えるシーンがたくさんあります。来年以降も弘前までおいでいただく価値は十分ありますので、その点はご心配なく。

Hirosaki Sakura Festival 20110503

この情報は、私の弘前高校同期の友人のブログ「nonvlog from nonvey」の記事から得たものです。

弘前城と桜のコラボはしばらく見納めです!!

(Yahoo!個人掲載記事を転載)

検閲を避けて潜る中国のソーシャルメディア、炎上を恐れて退潮する日本のソーシャルメディア

中国版Twitterと呼ばれている微博(weibo、ウェイボー)が、 米ナスダック市場に上場しました。ロイターは、微博自身による米ナスダックへの「デビュー」とならんで、微博の著名ユーザであって懲役8カ月の刑で服役していたチャールズ・シュー氏が釈放されたという、もう一つの「デビュー」について報じています。

2つの出来事のタイミングは偶然の一致に過ぎないが、上海に拠点を置く微博にとっての根本的な試練を浮き彫りにした。すなわち、中国で驚異的なマイクロブログの伸びによって発展を遂げた微博が、国際的なソーシャルメディア企業の一員として定着できるかどうかだ。

焦点:米上場の「微博」、中国政府の検閲への対応が課題 (ロイター) – Yahoo!ニュース BUSINESS

FacebookもTwitterも、株式市場に上場して「表舞台」出てくる段階では、すでにユーザ数の伸びも「踊り場」に差し掛かっていたという印象ですが、今回の微博も中国での盛り上がりのピークは過ぎていたという見方があります。

過去1年間はネット上で影響力を持つ評論家の身柄拘束が相次ぎ、そのおかげで微博のユーザー数が減少した可能性があるとする調査結果も出ている。

英テレグラフ紙と上海の華東師範大学が1月に発表した調査によると、政府がコンテンツ投稿の際に実名の表示をユーザーに義務付けたことを受けて、微博の投稿数は2012年のピークに比べ70%も減少したという。

焦点:米上場の「微博」、中国政府の検閲への対応が課題 (ロイター) – Yahoo!ニュース BUSINESS

FacebookやTwitterは、中国からのアクセスが制限されていることはよく知られています。情報流通をコントロールしたい中国政府にとって、政権の安定をゆるがすような発言が、コントロール不可能な状態で流通することは、なんとしても避けなければならないということでしょう。一方、微博はTwitterに類するサービスでありながら、中国国内でのアクセスが認められ、成長してきました。微博は中国政府によるコントロールが及びやすい中国国内の事業者です。実際政府を批判する発言が削除されることもあります。チャールズ・シュー氏のように買春の罪で起訴されるようなケースでも、これまでの微博での発言がチェックされていたと見られているようです。

中国政府は、コントロールしやすいはずの国内事業者微博での投稿ですら、手を焼いているということでしょう。反政府的な発言、少数民族問題などにとどまらず、鉄道事故などでの政府対応への批判や公務員の汚職の告発などもあるようです。今回、ユーザの投稿数が激減した背景には、動画投稿に対する実名登録の義務付けなど政府による規制強化の影響があると見られています(とはいうものの、アクティブユーザはむしろ増加していると、微博側は発表しています)。

微博を去ったユーザはどこに行ったのか。受け皿になっているのはメッセージングサービスの微信(ウィチャット)です。私も先月の中国出張を契機に、出張先のカウンターパートとのやりとりに、このサービスを使ってみることにしました。微信は、日本のユーザに普及しているLINEの中国版というべきサービスで、世界的には、Facebookに買収されたWhatsAppをあわせて、世界を三分しているメッセージングサービスの一つです。「三分」とはいうものの、微信の場合には圧倒的に中国、LINEも日本での強さが際立っている状態です。メッセージングサービスですので、LINE同様に友人同士の閉じたコミュニケーションに使うのが一般的ですが、「モーメンツ」という、LINEでいう「タイムライン」のような機能があり、これがFacebookのタイムラインのような、近況を広く友達に伝えるためのツールになっています。

日本がLINE、中国が微信と、サービスこそ違いますが、全公開のソーシャルメディアから友達間の閉じたコミュニケーションに閉じ始めている点では、共通した傾向が見て取れます。欧米でもWhatsAppが普及してきていますので、ひょっとすると全世界的に、「ソーシャル疲れ」が出ているのかもしれません(日本の場合には、閉じているLINEが、閉じているがゆえにいじめの温床になったりもするわけですが)。オープンなソーシャルメディアの「退潮傾向」は、世界的な流れというべきなのかもしれません。

ただし中国の場合には、政府からの検閲をまぬがれて情報を交換しようという人々の欲求があり、そのために使われるサービスが微信に移りつつあるという側面があるでしょう。その証拠に中国政府は、本来プライベートであるはずの微信でのメッセージのやり取りまで、監視しているという報道も出ています。

WeChat(微信)を使うと、中国国外のユーザも当局の検閲下に – THE BRIDGE

日本の場合には、Twitterでのうっかり発言で炎上し「私刑」を受けるという現象があり、これもまた、メッセージングサービスに人々が移行している原因の一つではあるように思いますが、政府による「検閲」を恐れてメッセージングサービスに移行するという人は皆無でしょう。しかし、モラルに反することを書くのはけしからんといわれるのと、社会秩序を乱すことを書くのはけしからんといわれるのは、同一線上にあるようにも思います。「けしからん」というのが権力なのか社会全体なのかという点はもちろん大きな違いなのですが。「けしからん」と社会から糾弾される個人を、完膚なきまでに叩き潰そうとする「炎上」現象に対し、何らかのセーフティネットが用意できないという点では、日本もあまり褒められた現状にはありません。

また、日本のメッセージングサービスも、青少年保護の観点で、監視への圧力が高まっているように見えます。つまり青少年への犯罪行為につながるメッセージングサービスでのやりとりを、事業者側がきちんと監視する必要があるのではないかという議論です。実際、ソーシャルゲーム上でのやりとりについては、実質的なチェックが行われています。これもまた、中国と日本で、違う観点ながらパラレルに起きている現象です。青少年保護のために一定の仕組みが必要であるにしても、それが受忍できない個人の権利侵害につながっていかないよう、注意が必要です。

これから微博というサービスは、株式市場でもきちんと評価を受けるよう「オープン」で「自由」なプラットフォームであることを強調するでしょうし、株式市場もまたそれを厳しくチェックするでしょう。日本人としては、中国のサービスに対して向けられる厳しい視線を横目で見ながら、日本の言論空間の自由さをあらためて噛みしめるところもあるでしょう。とはいうものの、中国の現象を見ながら、日本もまた襟を正して、日本のネット言論空間を検証していくべきだとも感じます。

(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

新潟ソーシャル時評:「紙の日報忘れたけれどもモアがあるから大丈夫」は実現できる?:新潟日報モアのリニューアル

(2014年4月1日新潟日報モア「「新潟ソーシャル時評」」から転載。)

4/1から、新潟日報モアがリニューアル、「デジタル紙面ビューア」が登場しました。

デジタル紙面ビューアー|新潟日報モア

「パソコンではもちろんのこと、専用アプリ(無料)を使用することで、スマートフォンやタブレットでも日報やその他の紙面が閲覧いただけます。」

今まで新聞の中身をウェブに変換して表示していた新潟日報モアですが、PC・スマホ・タブレットで、新聞紙面それ自体を表示できるようになったことになります。テキストでの表示も可能ですし、検索もできます。「先週たしか新発田のアスパラの記事が出ていたと思うんだけど」というときにも便利です。見つけた記事のスクラップも可能です。

新潟日報モアは、新聞購読者向けサービスである一方で、読者であることを確認するために画面から改めて「登録」を求めており、正直言って参入障壁が非常に高くなっています。新聞読者の多くはITになじみのない人が多いという相性の悪さもあり、読者サービスといいながら、読者向けサービスとして成立させるのが難しい状況があるように思います。ただしそこは中身との相関もあるでしょう。高いハードルを乗り越えてもぜひ登録したい、というぐらいサービスが充実していれば、どうにか登録しようという読者も増えるはずです。

2月の読者満足度調査特集で私は、「紙の新聞を忘れたけどモアがあるから大丈夫という存在を目指すべき」というコメントをしました。今回の「デジタル紙面ビューア」は、「紙の日報忘れたけれどもモアがあるから大丈夫」に向けて、重要な一歩を踏み出したのではないかと思います。さらに望むならば、対象を地方面以外にも広げてほしいということでしょうか。地方面と「ふむふむ」以外にも、日報ならではの記事はあります。「紙の日報忘れたけれどもモアがあるから大丈夫」といえるには、そこまでぜひ実現してほしいと思います。

「デジタル紙面ビューア」では、写真をクリックすると動画が再生できるようにもなりました。これまで写真を撮るだけだった取材シーンで、動画も必ず撮ることになるのでしょうか。記者の皆さんがしばらく苦労することになりそうですが、これもまた、新しい新聞の読み方として期待したいところで、モアの登録者が増える可能性を秘めているように思います。

このほか、各地方で配布されている「assh」も同時にデジタル化され、地域にかかわりなく読めるようになりました。新潟日報の外付けの「フリーペーパー」的なポジションにある「assh」の、波及力も増すことでしょう。

公開前夜の3/31に、UST番組「敬和×日報『Newsナビ』」でも、新潟日報モアのリニューアルをとりあげました。先行してリリースされた、先生の異動すいすい検索についても紹介しています(モア始まって以来の大きな反響があったとか)。
 

敬和×日報「Newsナビ」(Facebookページ)

「新聞×ネット」は、年々変化を続けており、新潟日報モアのような「購読者限定サービス」としてのコンテンツが増えつつありますが、ソーシャルメディア上での情報流通は、この制限とどうしても衝突します。新潟日報モアもまた、ビジネスの論理を追求し過ぎると、ネットでの存在感が低下するというジレンマの中、さまざまな試行錯誤が続いています。しかし新潟のニュースを発信する存在として、新潟日報は非常に大きな存在です。今回大きな変化への一歩を進めて新潟日報モア。さらなる変化が実現されるのかどうか、注目していきたいと思います。