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稚内

稚内市に「樺太記念館」開館へ

稚内の副港市場に、全国樺太連盟から資料提供を受けて、樺太記念館を開設というニュース。

「稚内市樺太記念館」開館へ 資料2千点や映像公開 来年5月末、副港市場内に:どうしん電子版(北海道新聞)

樺太出身者らでつくる全国樺太連盟(本部・東京、西本美嗣会長)からの提供資料を展示するほか、映像資料を公開するスペースも設置。市は観光客をはじめ多くの人が樺太について学ぶ機会となることを期待している。

通年で開館するために、冬場閉館する百年記念塔(稚内公園にある北方記念館)ではなく、副港市場にしたのはよい判断だろう。

お土産・温泉・お食事などが入った日本最北端の複合施設 副港市場

北方記念館も、地味ながらいい展示内容なので、通年展示にできたらいいとは思うが、訪れる人も多いとはいえない。記念館のある「稚内公園」は、高台で見晴らしがよく、日によってはサハリンものぞめる立地だが、冬場そこまでのアクセスを確保するのは容易ではない。

全国樺太連盟が2021年までに解散する計画というのは知らなかった。たしかに、引き揚げ者が高齢化しており、北方領土のように返還を求めているわけでもなく、団体として続けていくのは難しい状況にあるのだろう。

少し調べてみたところ、連盟の西本美嗣会長のインタビューが、2016年の8月、毎日の記事に出ていた。資料の引受けは、稚内のほか、北海道博物館にも期待されている。「副港市場」は商業施設なので、展示する以外の資料をアーカイブする機能はあまり期待できないだろう。稚内市がこれに関してどんな姿勢を示すのか、すべて「札幌に任せる」ということにするのか、「アーカイブの一部も稚内が担う」という立場をとるのか、注目されるところだ。

樺太40年史:後世に 歴史書近く完成 「全国連盟」解散へ続く取り組み /北海道 – 毎日新聞

−−連盟の解散をどう進めていくか。
◆会員から寄贈された資料が8000点ほどある。北海道博物館(札幌市厚別区)や稚内市の北方記念館に引き取ってもらうことになっており、引き継ぎをしっかりしたい。樺太では日本が降伏した後も地上戦や空爆があり、多くの人が亡くなった。遺骨収集は調査が難航しているが、できるだけ協力していく。我々が元気なうちに、できることはやっておきたい。

『 戦火に消えた我が樺太よ 』

『 戦火に消えた我が樺太よ 』 ー 忘れない心のふるさと ー』新潟展に行ってきた

週末、新潟県民会館で開催されていた全国樺太連盟の移動展『戦火に消えた我が樺太よ ー 忘れない心のふるさと ー』に行ってきた。

樺連ニュース : 樺太関係資料館 新潟移動展

『 戦火に消えた我が樺太よ 』

『 戦火に消えた我が樺太よ 』

稚内に6年住み、ユジノサハリンスクも一度訪問したことがある自分としては、正直北方領土よりも、樺太・サハリンの歴史やこれからに、より関心がある。「樺太」の領有権問題を蒸し返そうという人は、現在そう多くはないし、日本政府も積極的な主張をしているわけではない。正直遠く離れた新潟人の関心は、そんなに高くはないようで、来場者も多くはなかった。稚内では、樺太からの引き揚げの話を耳にすることもあり、対露感情が悪いのもやむをえないと感じる一方で、市役所にはサハリン課やユジノサハリンスク事務所があり、「日ロ友好最先端都市」をスローガンに、官民挙げてサハリンに活路を求めている状況もある。正直国境に近い稚内では、領土問題として「樺太」を扱おうという空気は、ほとんどなかったように思う。

さて、展示はサハリンを探検した間宮林蔵の頃の内容から、ウィルタ、ギリヤークなどの少数民族の様子、樺太の開発の歴史、人々の暮らしと続いて、ソ連侵攻の様子までを紹介していた。会場内には、全国樺太連盟の関係者の方がいらっしゃって、いろいろ説明して下さった。説明される方が、日ソ中立条約を破棄して攻め込んできたソ連の行為を非難するとともに、ふるさと樺太の返還に向けて世論を喚起したいということ、しかし日本政府やメディアもこの点にほとんど触れてくれないことなどをお話しされていた。国際法の問題としても、また現在の国際情勢に照らしても、「樺太の帰属問題」が政治課題として浮上してくる可能性は低いとは思う。が、1945年までの樺太の様子を見た後で、樺太で生まれたという高齢の説明員の方の、郷土を取り戻したいというお気持ちを伺うと、そんな野暮な現実論を話そうという気持ちにはならなかった。

撮影禁止ではなかったので、印象に残ったものを何枚か撮ってきた。こちらは漁船で引き上げてきた船が、浜頓別についたところ。

『 戦火に消えた我が樺太よ 』

ソ連の対日参戦後になって、樺太庁は本土への民間人の緊急疎開を決定したが、この輸送は終戦後の8月23日、ソ連によって禁止される。その後、引き揚げが始まる46年12月までの間に、漁船などで密航し、北海道を目指した人も多かったが、ソ連軍に見つかって沈没したものも多かったという。決死の覚悟で密航した人々のうち、なんとか浜頓別までたどり着いた人たちの写真ということになる。緊急疎開で小樽方面に移動していた船が、小平などの沖合で攻撃されて沈没した話は知っていたが、漁船で帰ってこようとした人たちがいたのは知らなかった。ちなみに攻撃を受けた緊急疎開の船のうち、一隻が一度稚内に立ち寄っていたことを、今回初めて知った。そこで船を降りた人たちは運良く助かったし、逆に稚内から乗り込んだ数名は、攻撃を受けることになったということになる。

「ソ連軍の大泊侵攻」というタイトル。たしかこの写真、ユジノサハリンスクの博物館(旧樺太庁博物館)にも展示されていたと思う。「敗走する日本人たち」というようなタイトルだったかと。

『 戦火に消えた我が樺太よ 』

旧樺太庁博物館を2005年に撮影したもの。この状態で、現在も残っている(はず)。
Japanese Styled Building in Russia

樺太での戦いは、8月9日以降に行われており、むしろ8月15日以降に、民間人の生活している地域への攻撃が行われ、多くの犠牲者を出している。樺太や千島では、8月15日以降も戦闘が行われたが、ここでの戦いで苦戦したソ連が、北海道侵攻をあきらめたという説もある。知れば知るほど、ソ連参戦の不条理と、その気配に気づけなかった日本の情報収集能力の限界を感じる。

2010年に復刻上映された、映画『樺太1945年夏 氷雪の門』の予告編。

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ハートランドフェリーの「アインス宗谷」がデザイン一新

稚内を拠点に、利尻礼文航路とサハリンへの航路を運行する、ハートランドフェリー(ほかに、奥尻島の航路もある)。
去年までは東日本海フェリーという名前だったが、社名も変わり、船体のデザインの変更を進めているようだ。今日Flickrで見かけたところでは、サハリンとの間を往復しているアインス宗谷も、以下のように変わっている。

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from wakkanai097

ハートランドフェリーのウェブによると、すでに他の船の塗り替えもすすんでいて、5月には新ターミナルができるようだ。これまでの裏寂れた稚内フェリーターミナルと比べると、かなり雰囲気の違うものになる。

 

帰還しました

8月9日から、稚内-サハリン-稚内-札幌-バンコク-カトマンズ-ポカラ-カトマンズ-香港-札幌-稚内、と放浪し、2日早朝に無事稚内に帰着。
校務関係ではいろいろ成果がありましたが、さて学内で承認されるのは何%だろう。
成果が出れば出るほど、自分たちが新しい一歩を踏み出せるかどうかが問われることになる。
現場で感じたことを、自分が100%同僚に伝えなければならないのだけど、自信はない。
訪問した大学は、サハリンで2校、ネパールで5校。全部で7校分の報告が必要になる。長い出張は体力を奪い取るが、出張の長さに比例して、帰国後に処理すべき案件が増えることになる。
気晴らしに、ランダムな写真報告を試みたい。

稚内の観光と市民生活

Kentからトラックバックがあった。「父の版画展」の後半部分は、ためらいながら書いていたので、わかりにくかったかもしれない。
稚内についてこの話をあてはめると、実はなかなか悩ましい問題になる。
稚内は観光地であるが、「ぶらり散歩」には向かない街である。そもそも気候が「ぶらり散歩」に適していないので、街の人は「ぶらり散歩」をしない。なので、あまり「ぶらり」系の街並みができていない。また、街自体が宗谷湾沿いに横長に伸びていて、その中でも観光地はあまりアクセスのよくない山の上や端っこに位置している。稚内駅から宗谷岬までは30キロもある。しかも宗谷岬が長時間滞在に向いているようなインフラを持つわけでもないし、まして、市民に親しまれるような空間が用意されているわけでもない。
で、観光客に対してはどうしているか。観光バスに乗せて、点在する観光地をまわっている。これは年寄りには向いているかもしれないが、「ぶらり散歩」ならではの旅先での発見を促進する仕組みにはなっていない。だからさしたる「発見」がないので、「宗谷岬に行った。寒かった。」ということで、観光客は満足し、「リピーター」にはならない。夏のライダー層は、それなりに稚内にくるまでのプロセスでリピーターになる人もいるようだが。稚内の冬季観光促進策として、今年は「リピーター」登録というのをやっていて、夏に来た人が冬にまた来ると、数千円相当のおみやげをあげることにしたようだ。リピートしたいと思っていない人を、モノで釣るわけだが、しかしリピートして楽しめるインフラを整えないで、リピートさせたところで、あまり意味はないだろう。そういう意味で、この制度もちょっとおかしい。
話を戻そう。こういう状態がよくない状態であると仮定すると、何が必要か。
まず、交通網の整備。どこでもバスで気軽に行って気軽に戻ってこれるようにする。弘前には100円で中心街を回れる循環バスが走っているが、そういうことはできるだろうか?あるいは、ワンデーパスで乗り放題というのを作ったらどうか。おそらくリピートした人たちも楽しめるだろう。エコビレッジなんか楽しそうよ。大学も訪れてみようかしら。サロベツファームに行って、ソーセージ作りでもしてみようかな。
ということになるが、観光需要にこたえられても、バス会社はつぶれてしまうだろう。町の人はバスをあんまり使わないし、まして宗谷岬までバスでいく用事は、宗谷岬に住んでいる高校生でもない限り、そうそうない。町の人の需要と観光客の需要にはギャップがある。
じゃあ観光需要にこたえる商店街・繁華街はどうか。飲食店はいけそうだ。「いい店、うまい店」系は、多少地元民と観光客の間にギャップがあるとはいえ、そこそこ同じメニューで両方の需要にこたえることはできるだろう。では、海鮮市場はどうか。市場は稚内に限らず、釧路や小樽や函館にある観光市場の場合、あまり市民からの関心をひかないかもしれない。少なくとも見栄えのする施設を作っても、投資を回収するだけの利益を見込むのは難しいかもしれない。中央商店街を「ぶらり」旅向きの趣のある店ばかりの街並みにしたらどうだろう?たぶん街の人はそういう「趣」にあんまり関心がないので、おそらく商売にならない。
あと、抜本的に何か、という意味では「カジノ」はどうだろう、という以前からのひそかな持論があるのだが、それは今日のところはやめておこう。
東京から飛んでくる飛行機に乗って、観光客のしゃべっていることに耳を澄ましていると、いろいろなことがわかってくる。基本的に彼らは自分たちの先入観で稚内を消費しようとしていて、その需要にすべて答えようとすると、おそらく稚内の街そのものが崩壊するだろう。でも観光の街を作ろうとしているのであれば、それにある程度おつきあいすることも必要だ。今は「全部送迎つきだからいいだろう」ということで、郊外の、どこにも車なしではいけないようなホテルに泊まらせているケースをよく見るが、あれはむちゃくちゃである。
「おつきあい」のために血税が使われるのもある程度は仕方がない。問題は使い方や覚悟、構えの問題である。稚内の人にその「覚悟」は感じられない。覚悟をするためには、関係者すべてが、相手の需要を理解し、それ以上の満足を与えるために何が必要かを考えなければならない。さらにもうひとつ、そのために使われる血税が、自分たちの生活にもかかわりがなく、直接的利益として還元されない場合に、どこまでそうした公共投資を受容するのかということも考えなければなるまい。つまり「関係者」は広義では、稚内市民すべてである。
ぼろぼろの施設を改造した「サハリン館」や、何も新たな魅力を提供せずモノで釣ろうという「リピーター」制度は、おそらくこうした市民の覚悟に支えられていない観光関係者が、なけなしの予算の中から苦しみながら生み出したものなのだと思う。そういう苦労に冷や水をかけたいというわけではないが、客観的・第三者的に見れば、それらの取り組みが「競争力」を生み出すようにはとてもみえないというのが、正直な感想である。
弘前に話をもどすと、弘前市内には道の駅が一つ、青森空港に向かう途中にも一つある。また隣町に、岩木山に向かう道中、地元農協がやっている同じような店がもう一つある。どこも観光需要にも答え、地元の人も安く買い物ができるのでよく来ているようだ。稚内の場合に難しいのは、こうした複眼的な思考に基づく設計、つまり市民にも観光客にもウケル施設がつくりにくいということだろう。弘前の町は「おつきあい」の施設を作っても、それなりに市民にも親しまれている。さくらまつりの期間、弘前公園への入場料を取りはじめたことは、市民に親しまれた公園を引き離したので、市民にはきわめて不評だったようだ。それはつまり、観光資源が単に観光資源であるだけでなく、市民にも親しまれているということだろう。今宗谷岬の駐車場を有料化して、市民は怒るだろうか?
観光と市民生活のギャップは、二つを複眼的に考えさせることがないので、それは結果として、市民に観光のことをまじめに考えるきっかけも与えない。子供を大学に進学させることであまり大したメリットがない(と勝手に考えている)ので、地元に大学があることのメリットもあまり考えないのと同じようなことだろう。