カテゴリー別アーカイブ: 青森

弘前中三を再び輝かせるRINGOMUSUME(りんご娘)「Ringo Disco」

1995年に毛綱毅曠さんの設計で新築された弘前中三。弘前市内中心部のランドマーク的存在だ。オープンしたときに、自分はすでに青森を離れていて、弘前の中心市街地である土手町の力も徐々に失われてきていたと思うが、そこにユニークな建物で登場したのが、老舗百貨店弘前中三の新しいビルだった。

残念ながら土手町がかつての輝きを取り戻すことはなく、中三自身も民事再生法適用申請し、苦難の時期が続いた。営業は再開されたが、建物も徐々にふるぼけてきて、このランドマークの輝きも徐々に失われてきていた。

築25年の少し古めかしくなかったビルを、きらびやかな舞台として活用したのが、地元アイドルのりんご娘の新曲「Ringo disco」。洗練された曲調ときらびやかな照明で、老舗百貨店の店内を輝かせてみせている。

うまく話題になっていけば、この建物の存在が見直され、中心市街地の起爆剤になる。といったらいいすぎかもしれないが、「地元のデパート」として、あまり価値を感じていなかった人たちもこの建物を見直すきっかけにはなるだろう。

【NAKASAN × RINGOMUSUME】
3rd Album「FOURs」収録曲「Ringo disco」Music Video

RINGOMUSUME(りんご娘)
とき・王林・ジョナゴールド・彩香

・WORDS AND MUSIC BY
SHINYA TADA
・ARRANGED BY
TAKASHI SHIMADA
・CHOREOGRAPHY
HIROMI

【online shop】
https://www.amazon.co.jp/dp/B07NBDQXG6/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_itqWDbE1EZR7Z
【itunes】
https://music.apple.com/jp/album/ringo-disco/1453977339?i=1453977348

【MV】
・PRODUCER
RINGOAME-MAN
・DIRECTOR
YUMA HIRAI

抑留生活から復帰して、弘前高校の校長をつとめた「ダモイ」こと小田桐孫一先生について

1月の弘前高校同窓会新潟支部の会合で、同窓会副会長から支部に贈呈されたのが、小田桐孫一先生の肉声テープのCD。同窓会メンバーは普段からよく会っているわけではないので、私のところにまわってきて耳にすることはなさそうだが、音源の一部は、すでに東奥日報によって、YouTubeで公開されている。

弘前高校、弘前実業高校の名物校長で今も伝説的な存在として語り継がれている小田桐孫一(まごいち)さん(1911~82年)の式辞など、肉声を録音したオープンリールテープが残されていたことが23日までに分かった。教え子たちに惜しみない情熱と愛情を注いだ小田桐さんの人となりをしのばせる、戦後の青森県教育史上でも貴重な音声が残されていたことを両校の関係者らは大きな喜びや驚きとともに受け止めている。
http://www.toonippo.co.jp/

今回の同窓会で配られた、小田桐孫一先生のプロフィールは、あらためて興味深かった。「ダモイ」というあだ名(ロシア語で「帰国」という意味。抑留者がもっとも強く記憶しているロシア語の言葉ということだろう)を、本人がどう思っていたのかはわからないが、それもまた、今となってはさまざまに想像をかきたてる。

文藝春秋の記者を1944年3月までつとめたあと、旧制弘前中学に勤務していたところ、応召したのだという。支部の先輩いわく、文藝春秋時代にも中国に渡り、紙の調達のための活動をしていたという(ここは伝聞情報なので、もう少し検証が必要)。対米開戦の旗を振ったとされる文春をやめて、郷里に戻ったところで応召し、終戦後4年間抑留生活(カザフスタンで抑留されていたという)を送るという経歴には、いろいろな「行間」を想像させるが、私の持つ限られた情報ではそこには迫ることができない。

先日亡くなった作家の長部日出雄さんは、弘前高校時代哲学研究クラブで、小田桐先生の影響を強く受けたと語っている。長部さんの著書から、ひょっとしたら小田桐先生のことがもう少しわかるのかもしれない。

「スター・ウォーズねぶた」に見る地域社会の迷い

今年の青森ねぶた祭で、スター・ウォーズねぶたを運行すると発表され、大きな反響を呼びましたが、どうやら反発も大きかったようで、運行は8月1日の前夜祭だけになるようです。

ところが実行委の一部から「子どもねぶたは町内会や地域に根ざしている生協などが運行する枠なので、他の団体を出すことはできない」「運行団体以外の広告物は好ましくない」などのクレームがあり、運行を断念。運団協が主催する前夜祭のみに登場する。

<ねぶた>SW運行は前夜祭だけ?の怪 (河北新報) – Yahoo!ニュース

ソーシャルメディア上での反応を見ると、「スター・ウォーズねぶたの提案というせっかくのチャンスを、みすみす逃すのか」という声と、「ねぶたはもともとの姿でやるべきで、今までと異なる題材は不要」という声、大きく2つに分かれているように思います。

記事の方では、ねぶたの運行計画に関わるところで、「地域枠に他の団体を入れることはできない」という理由と、「運行団体以外の広告物は望ましくない」という理由が、併記されています。実行委員会では両方の意見が出たのでしょう。地域の子供たちのねぶたを押しのけてまで、スターウォーズねぶたをやるべきとは思いませんが、どうにもならないほど枠が逼迫していたのかどうか、外から見ている立場では、よくわかりません。今回の記事は、河北新報からの記事ですが、地元青森での報道があったのかどうか。今のところネットに出ている記事では見当たりません。

スター・ウォーズは「ねぶた祭にあわない」というのは、私も感覚的にはわかります。ついでにいうならば、こちらは前ねぶたとして運行がきまっている「ラブライブ」もあわないかもしれません。

青森県のねぶた、ねぷた祭りに「ラブライブ」 立体のねぶたに期待 /青森 (みんなの経済新聞ネットワーク) – Yahoo!ニュース

しかしねぶた祭自体、今の形になったのはここ数十年の話です。もともと灯籠を持って町内を練り歩くという程度のものだったわけで、実は「伝統的なスタイルを崩すな」というのは、それほどの根拠があるわけではありません。
青森ねぶたが現在の形になるまでの経緯について、詳しいことはわからないのですが、弘前ねぷたについては以前、弘前市立博物館の展示で見たことがあります。現在の三国志や水滸伝を題材とする画風は、昭和のねぷた絵師である竹森節堂という画家によって確立されたとされています。ねぷたそれ自体は、江戸時代からあったものの、現在の画風は、昭和になって徐々に形作られていったものだといってよいと思います。津軽藩の中で、青森、弘前、五所川原など、各地でまつりが行われていく中で、さまざまな形に分かれていったのだとすれば、組ねぶたである青森ねぶたも同じ系譜の中でとらえていいでしょう。もちろん、昭和からの流れを「伝統」といっても構わないとは思いますが、少なくとも、ねぶたの由来とされる坂上田村麻呂の時代まで遡るようなものではないということです。

ソーシャルメディアの反応を見ると、地域社会の現状を踏まえつつ、どんな祭りを作っていくのか、青森の人々の迷いが現れているように思います。青森ねぶたの場合、ねぶたが大規模であることもあり、以前からスポンサーの名前が大きく表示されたものもありました。一方、ここ十数年で着実に人気を高めつつある五所川原市の立佞武多では、すでにアニメやゲームのキャラクターが採用されたことがあるようです。特にアニメ・ゲームなどのキャラクターとつながりを持つと、これまでの祭りのファンとは違う人達を惹きつけることが可能です。たしかに、三国志、水滸伝、日本の戦記物でおおよそ構成されてきた、ここ数十年の青森ねぶたの形とは異なるものではありますが、それをどう評価するのか。

たとえ、地域社会の縮小とともにまつりも縮小していくとしても、地域住民の祭りの形にこだわるべきか。それとも新しい要素を柔軟に取り入れて、新しい世代を取り込んだ祭りを模索するのか。今後、大幅な人口減少が予想される地域は、新しいものを取り入れる柔軟性を持ちつつ、「本丸」の伝統は守るというしたたかさを求められるわけですが、今回の措置はその考え方に沿ったものなのか。それとも保守的な考え方に押し切られたものなのか。非常に考えさせられるところです。

「キャラクターの話題性では、観光客の急激な増加は見込めない」という担当者のコメントは、すでに当日のホテルは満室でしょうから、ある意味正しいのですが、「スター・ウォーズをどのようにねぶたに取り込めるか、取り込むべきか」、あるいは、「青森はどのように外とつながるのか」という問題を、短期的な集客の問題に矮小化しているように見えます。保守的な考えに押し切られた関係者が、やむをえずひねり出した理由付けかもしれません。

この記事を書いている間に、「モンスト」がねぶたに登場するというニュースが出てきました。

「モンスト」のキャラが“ねぶた”になって「青森ねぶた祭」に登場 – 4Gamer.net

こちらは青森山田学園のねぶたの「前ねぶた」という位置づけ。各参加団体の本体のねぶたの前に配置されるねぶたについては、このように自由な設定が可能です。ではどうしてスター・ウォーズだけがこうなったのか、最初から前ねぶたでという解はなかったのか、さらに疑問が深まるところであり、同時にまた、柔軟な対処は不可能だったのかと思うところです。
(Yahoo!ニュース個人掲載記事を転載)

あいかわらず「利用者不在」の新幹線駅名:「奥津軽いまべつ」「新函館北斗」

北海道新幹線の北海道北斗市までの駅名が決定しました。新青森からの先は「奥津軽いまべつ」「木古内」「新函館北斗」になります。

JR北海道は11日、北海道北斗市で建設が進む北海道新幹線の新駅名を「新函館北斗」、青森県今別町の新駅名を「奥津軽いまべつ」にすると発表した。札幌市の本社で記者会見した島田修社長は「多くの人に愛され、使ってもらえる駅になってほしい」と述べた。

 新函館北斗は「新函館」との仮称だったため北斗市側が反発。函館市との協議もまとまらず、両市はJR北海道に一任していた。禍根を残すことを恐れた同社は道に意見を求め、道は新函館の仮称がなじんでいるとする一方、立地する北斗市への配慮も求めていた。

 島田氏は「新函館北斗なら新幹線が函館行きであり、駅が北斗市にあることも分かる」と命名理由を説明した。

北海道新幹線新駅名は新函館北斗、奥津軽いまべつ  :日本経済新聞

北海道側の、駅の所在地である北斗市に配慮しつつも、おそらくメインの訪問地となる函館市の玄関口としての機能を重視して「新函館北斗」という名前になったということでしょう。たしかに北斗市のイメージはあまりないので、駅名に入ることにより、北斗とはどんなところなのか、想起してもらえる効果はあるように思います。

青森側の最北の駅「奥津軽いまべつ」の決定の経緯もまた、なかなかややこしいです。現在の駅が「津軽今別」で、新駅は「奥津軽」という駅名が当初予定されていましたが、今別町の提案に沿う形で「奥津軽いまべつ」に落ち着いたということです。

函館の集客力を前にすれば、現在の終着駅である青森ですら存在がかすみ、「通過駅」の存在になってしまう懸念があります。実際新青森開業の際にも、「函館まで延伸する前に、『通過駅』にならないよう自力をつけなければ」という話がでていたように記憶しています。はたして「自力」はついたといえるのか。青森出身者としては、実は正直、この点も心もとないです。

「北斗」は「函館」にくっついて名前が表示されることにより、存在を認知される可能性があるでしょう。北斗市については、ずーしーほっきーのイメージはありますが、そのほかは特に強く記憶に残っているものはありません。しかし駅の利用者はそれなりに見込まれるわけですから、これでも十分な宣伝効果があるのではないかと思います。

かたや「今別」はどうか。これは非常に苦しいところです。青森県今別町は、日本創成会議が先日発表した、全国市区町村別「20~39歳女性」の将来推計人口によると、2050年の「20~39歳女性」は、2010年の数との比較で-88.2%となる町です。人口も1200人台まで落ち込むと予想されています。あくまで予想といえば予想ですが、今別はつまり、圧倒的な「過疎」の町です。この今別を救済するいわば「起爆剤」として、「奥津軽」に「いまべつ」をくっつけるという案が提案され、採用されたということになります。地元が要望する気持ちは痛いほどわかりますが、この名前だけで、駅の乗降客が増えるとは考えにくいです。

ところでこれらの決定の経緯に、一般の利用者の利益はどれぐらい考慮されているのでしょうか。一般の利用者は、(鉄道ファンでもなければ)現時点でこれらの駅にさほどの関心はないので、どうしても「地元」の声が強まります。しかし長い駅名は、利用者にとってのメリットは少ないです。

上越新幹線では、「燕三条駅」がその典型でしょう。隣接する燕市と三条市、どちらの駅名にするかなかなか決まらず、結局2つ合わせた駅名になったと聞いています。「燕」が先か「三条」が先かが争われ、「燕」が先になったけれども、駅長室は三条市になったというような話を聞いたことがありますが、正確なところはわかりません。つまりそれぐらい、駅名をめぐる争いは激しかった。しかし今はどうでしょうか。実は燕市、三条市というそれぞれの存在よりも、圧倒的に「燕三条」という地名が存在感を得ています。他県の方の中には、燕市と三条市ではなく、燕三条市として認識している人もいるのではないでしょうか?

「奥津軽」という切り口はこれまで認識されてこなかったもので、青森の中でも津軽半島の北部には、津軽海峡をのぞんだ雄大な自然があるのではないかという、印象を持たせてくれます。そこに「いまべつ」をつけるかどうかは、正直利用者にとってはどちらでもよかったのではないかと思います。今別町にとっては、短期的に町の知名度があがるという効果がありそうですが、それだけでは乗降客は増えないと思います。むしろ「奥津軽」としてのブランドをどう築いていって、新青森でもなく新函館北斗でもないこの駅を、どうやって利用してもらうかを考えることが大事ではないかと思います。

さもなくば、新函館北斗駅に向かう乗客に、「誰もいないのになんで止まるんだろうなあ。政治駅だよな。」といわれる存在になってしまうことでしょう。

(Yahoo!ニュース個人より転載)

弘前さくらまつり開幕:「お城と桜」の定番風景は、今年をのがすと、しばらく見ることができなくなる?

私の故郷である青森県弘前市の春のイベントといえば、GWが見頃となる弘前さくらまつり。今年も4月23日に開幕しています。

毎年開花の時期がいつになるか注目されるのですが、今年は28日が満開だそうで、期待通りGW前半が見頃になりそうです。かつて毎年のようにGWに満開を迎えていた弘前公園の桜ですが、昨今は温暖化の影響で開花が早まっていて、例年私が帰省するGW後半には「葉桜」になっていることもあります。市の関係者はあの手この手で開花時期を遅らせているという話も、よく聞きます。

弘前市には、「お城と桜とりんごの街」というキャッチフレーズがあります。りんごの産地である津軽地方ですので、りんごは当然に街のシンボルですが、それと同等に弘前城とその周りに咲く桜が、街を象徴する要素になっているわけです。石垣の上に立つ弘前城天守閣をバックに、桜が咲き誇る様子を、赤い下乗橋の上(やその近く)で写真に撮るというのが、市民にも観光客にも定番になっているように思います。

実はこの定番シーン、来年からしばらく見ることができなくなります。石垣の大規模修理が必要になったため、天守閣を移動させて、10年かけて大掛かりな修理を行うのだそう。

弘前城は2007年からの市の調査で、天守閣の石垣が東に約1メートル張り出していることが判明。崩落の恐れがあるため、市は約100年ぶりとなる大規模修理を実施することを決めた。
 市によると、修理は秋からで、重機を搬入するために内堀の一部を埋め立てる。石垣を積み直すため、天守閣も来年のまつり後に移動する。
 土台を持ち上げ、レールで動かす曳屋(ひきや)と呼ばれる方法を使う。本丸の北西方向に約70メートル移すため、有名な下乗橋の撮影ポイントからは写らなくなる。
 天守閣を移した後は約3000個の石を隙間なく積み直す。天守閣が元の位置に戻るのは5年後、工事全体の終了は10年後を見込んでいるという。

弘前さくらまつり開幕 今秋から石垣改修工事でしばしの別れ | 河北新報オンラインニュース

どのように工事が行われていくかは、こちらの動画でごらんになることができます。

弘前公園はその名もズバリ「城が動く」というウェブページを作っています。

弘前城石垣修理事業「城が動く」 | 弘前公園総合情報

元の風景に戻って写真が撮れるのは10年後。自分自身や家族が10年後どうなっているのかなあと思うと、今年はぜひ家族でこの場所で写真を撮っておいて、10年後にまた同じ構図で撮りたいものだなと、個人的には思っています(実際には混み合っていて、この場所で、家族揃っての撮影はなかなか難しい?)。「弘前の桜」を見たいという方は、ぜひ今年弘前までおいでになるとよろしいかと。修復前の弘前城の、はらみのある石垣を桜とともに見たいという、「石垣ファン」の皆さんにも、オススメできます。

もちろん弘前公園には、他にも桜が美しく映えるシーンがたくさんあります。来年以降も弘前までおいでいただく価値は十分ありますので、その点はご心配なく。

Hirosaki Sakura Festival 20110503

この情報は、私の弘前高校同期の友人のブログ「nonvlog from nonvey」の記事から得たものです。

弘前城と桜のコラボはしばらく見納めです!!

(Yahoo!個人掲載記事を転載)

新潟にあるスナック「青森」

西堀通りのビルの6Fにあるスナック青森。以前から車で通るたびに気になっていて、月例の「喜ぐちの日」で集まった際にも、あそこはどんな店なんだろうという話題が出ていた。

先月、弘前高等学校の鏡ヶ岡同窓会新潟支部の会合があり、先輩たちにその「青森」に連れて行っていただいた。青森市出身のママが一人で切り盛りする、典型的なスナックであった。フロアに一台カラオケがあった。そんなに高いお店ではなく、ちょっと立ち寄って帰る店としても利用できるのではないか。

ママと青森の話はしていないが、新潟のマイノリティである青森県民が、ひっそりと集まっている場所なのかも、という印象を持った。

西堀通、1Fに「Pulp Fiction」というお店が目印になる。
青森 – 新潟市中央区/居酒屋・バー・スナック:マピオン電話帳

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弘前の大学生たちのプロジェクト「いしてまい」のメンバーに会ってきた

1月2日、弘前市内で、市内の大学生たちのプロジェクト「いしてまい」について、弘前大学の大学生、丹藤さんに話をうかがった。正月のまっただ中、1月2日にもかかわらず、時間を作ってくれてどうもありがとうございました。丹藤さんは大変しっかりした、適切に言葉を選んで話をする学生さんで、楽しい時間を過ごすことができました。

いしてまい

いしてまい (isitemai)さんはTwitterを使っています

「いしてまい」は、学園都市ひろさき高等教育コンソーシアムという市内の大学のコンソーシアムを母体に、これに参加する弘前大学、弘前学院大学、東北女子大学、東北女子短期大学、弘前医療福祉大学、放送大学青森学習センターの6大学から、学生たちが自主的に集まった「学生委員会」で、弘前の活性化のための取り組みをしている。昨秋に新聞記事を見て興味をもったので、Twitterを通じて、年末年始だけれどももし時間をいただけるならばお話をうかがいたいと連絡をしてみたところ、丹藤さんが快諾してくださった。

いしてまい丹藤さん

「いしてまい」は平成22年発足で、実はすでに4年目。丹藤さんは2012年度、大学2年の時から参加したということなので、「いしてまい」という名前が決まった瞬間には立ち会っていない。「いしてまい」は「良すぎて仕方がない」という津軽弁。弘前が地元の自分だが、最初名前を字で見た時には、実は最初意味がわからず、頭のなかで「石手舞」などと字をあてがっていた。メンバーの構成は、弘前大学3人、弘前学院大学6人、弘前医療福祉大学10人、東北女子大学2人、東北女子短期大学2人(というのが、丹藤さんの記憶に基づいて教えてもらった数字。放送大学青森学習センターからは、まだ参加者がいないそうだ。まあそうだろう)。弘前学院大学や弘前医療福祉大学からの参加が多いのは、おそらく先生からの呼びかけがうまく機能しているということだろう。弘前大学のように大きな大学だと連絡が行き届きにくいし、大学の中のコミュニティで自足してしまうということもありそうだ。

昨年度は「6大学合同文化祭」を中心市街地の土手町で開催、よさこい、ファッションショーなどのステージイベントと模擬店を出した。また、弘前市内各地区のお店について、市民の皆さんからの情報を元に取材し、冊子にまとめた「つながるMAP」を発行している。今年度は、弘前ねぷたへの「参加」をテーマに、ねぷたの製作過程から取材をし、最終的にねぷたの運行にも参加したそうだ。ブログやTwitterでの情報発信にも取り組んでいるが、コンテンツを制作して外部に公開するということよりも、実際に人に会って交流するということに力を入れているという印象を持った。

つながるMapつながるMap

活動の話をいろいろ聞いていくうちに一つの疑問がわいた。弘前という街は、文化的にも優れたものがたくさんあり、観光都市としての人気もあるのだけれど、ひょっとして市内のお店についても学生の皆さんは普段あまり行かないし、弘前ねぷたにもあんまり参加していないということだろうか?丹藤さんと話してみた限りでは、その通りのようだった。「いしてまい」に参加している学生の多くは、弘前市外の出身者。弘前市内の出身者で、こうした活動に目を向ける学生は少ないそう。一般的にも、学生たちが市内中心部で遊ぶことはあまりなく、五所川原市のショッピングモール「エルム」をはじめ、ドン・キホーテ、さくらのなどの郊外型の店舗に行っているようだ。新潟の学生たちがイオンに行くのと同じような現象と考えれば、さほど不思議ではないのだが、弘前という街は自分にとって、田舎だけどちょっとセンスのある街というイメージだったので、若者たちは放っておくと弘前の街中には出てこないという現象が起きているというのは、ちょっと意外であった。たしかに自分が高校時代を過ごした80年代後半からすでに20年以上が過ぎたわけだし、当時と違って、今はネットもありアニメなどのコンテンツのパワーも強いわけで、「ローカル」に目を向ける若者はなかなか増えていかないのだろう。ただそれは「きっかけ」がないからともいえる。「いしてまい」のような活動に参加した学生の皆さんは、これを通じて地域のことを再発見、再評価しているに違いない。参加しているメンバーは非常に良い機会を得ているように感じたし、それ自体は地域にとって大きな前進なのだということがよくわかった。

丹藤さんは3年生なので、これから就職活動がスタート。弘前での就職を希望しているそう。もちろん地元就職がそんなに簡単ではないこともよくわかっている。でも何とか地域のために働きたいと思うようになったという。1年間活動してきて、このように思える学生が少なくとも一人は出てきたわけで、これだけでもプロジェクトは大きな成果をあげているといってよいだろう。よい進路を見つけてほしいものだ。

最後に地域社会の現状をどう見ているか、聞いてみた。土手町の「シャッター通り」の空き店舗率は、最近改善されつつあるそうで、まだまだ「伸びしろ」がある。弘前は他の地域に比べると、いろんな催しなどで地域を盛り上げようという行動力のある人が多くいて、活力がある。「いしてまい」の活動を通じて、弘前のこうした「熱い人達」と知り合うことができ、確信を得たという様子であった。

今回は残念ながら、弘前大学以外の学生の皆さんにはお話をうかがえなかった。私立大学のメンバーの感じ方は、もともと大学のコミュニティが大きい弘前大学の学生とは、また違うような気がする。ぜひまたの機会にお話をうかがってみたいと思う。

一戸ゼミ青森旅行「のへぷた」で、青森ねぶたと弘前ねぷたに行ってきた


8/2-4の日程で、4年ゼミの学生たちと青森へ行ってきた。昨年は香港から友人を迎えて帰省したが、今回は学生たちと。弘前ねぷたと青森ねぶた、両方を見るという豪華なコースとなった。直前で女子2名のうち1名がいけなくなったが、急遽2年の女子学生が参加してくれた。

週末撮影した2012年の弘前ねぷた | ICHINOHE Blog

昨年の佐渡合宿の略称は「のへさど」だったが、今年の青森旅行は「のへぷた」というタイトルで実施された。

平成生まれの学生たちと佐渡合宿へ行ってきた #のへさど | ICHINOHE Blog

学生たちは2日と4日、それぞれに青春18きっぷで移動、自分は特急いなほとつがるを乗り継いで、学生たちを追いかけた。往路では秋田で合流、1時間ほど、秋田市内を歩いた。

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

学生たちの泊まる宿は、1ヶ月ぐらい前になって探し始めたので、絶望的な状況だったが、Facebook経由でいろいろお力を貸していただいて、弘前市内でなんとか7人分の宿泊場所を確保することができた。2日の弘前ねぷたは一戸時計店前にて。

Hirosaki Neputa 20130802

Hirosaki Neputa 20130802

Hirosaki Neputa 20130802

Hirosaki Neputa 20130802

Hirosaki Neputa 20130802

Hirosaki Neputa 20130802

この日参加したネプタは少なめで、21時ぐらいには終わってしまったが、はじめて見る学生たちにはちょうどよかったようだ。6月に弘前市役所で講演したときに、お話を聞いてくださった方々や宿の予約でお世話になった方ともお話しできたので、個人的にもとても楽しい時間であった。

弘前市役所で講演させていただきました:「津軽弁なまり」への切り替えは難しい | ICHINOHE Blog

2日目の日中は弘前市内を回り、その後青森へ。

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

各地に出展している「チリンチリンアイス」こと、りんご味のシャーベットが人気だった。

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

本当は三内丸山遺跡に行こうかどうしようかという話になっていたのだが、青森ねぶたの混雑が予想できなかったため、あきらめて早めに青森市内へ。

青森ねぶたは観戦場所を探して、市内の歩道にレジャーシートをしいて、椅子席の後ろで鑑賞するつもりだったが、学生たちが前の椅子席を管理する方といつの間にか仲良くなり、「新潟から来ているのであれば、空いている席に座っていいですよ」という許可をいただいた。結局ほぼ全員が椅子に座って見ることができた。どうもありがとうございました。

実は旅行に行く前の段階で、学生たちには、ハネトとして参加することもできると説明したのだが、衣装レンタルの値段をきいて、誰も参加するとはいわなかった。結局祭りを見ているうちに、「跳ねたくなった」とみんな言いはじめ、帰り道で、ちょっと真似して跳ねてみていた。だから言ったのに。

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

Aomori Nebuta 20130803

青森ねぶたは10年以上きていなかったので、規模感が想像つかなくなっていた。正直なところ、頭のなかではもう少し大規模なお祭りであった。いや弘前に比べたら大規模なのだけど、もっと圧倒的に大きいという印象があったのだが。自分自身の年齢や環境変化がこのギャップを生んでいると思うが、青森ねぶた自体も、少子高齢化の影響で変化しているようだ。今年は久しぶりにハネトの現象に歯止めがかかった、という記事が新聞に出ていた。それでも若い人たちの数は、弘前よりも圧倒的に多かった。

20時台の電車で弘前に戻ったが、若い人たちがかなり乗っていて、混み合っていた。弘前含めて、近隣の街の若者を、青森ねぶたは引きつけているのは間違いない。21時以降はもっと混んでいただろう。

今回は電車も学生たちとは一緒に乗らず、夜も自分だけ実家に帰ったので、宿でも学生たちと一緒に過ごしていないのだが、学生たちは学生たちで長い時間を一緒に過ごして、かなり仲良くなったようだ。歴史や文化に対する関心はあまり高いとはいえない学生たちは、実は沿線の地名もあまり知らなかったようだし、ねぶた・ねぷたの題材についても、たぶんあまり関心がなかったのではないかと思う(ゲームに出てくる人物を除く)。

ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04

ただそんな彼らでも、青森のねぶた祭りを体験し、しかも青森・弘前の両方を見る経験をすることができた。これから学生たちの多くは、卒業後も新潟で暮らすことになるし、新潟で働き始めれば、青森まで旅行に行くのは容易ではない。ましてねぶたの時期となればなおさらだ。今回見たことが、さらに成長していった彼ら・彼女らの血となり肉となって、いつか役に立ってくれたらと思うし、まずそれ以前に、大学卒業前に、また一つ思い出ができただけでも十分な成果としたい。

突発的な企画にお力添えいただいた皆さん、青森滞在中学生たちに親切にしていただいた皆さん、どうもありがとうございました。

一戸ゼミ青森ゼミ旅行 201308 / ICHINOHE Seminar Aomori Trip 20130802-04 – a set on Flickr

【写真】のへぷた!ゼミのみんなで弘前ねぷた祭り、青森ねぶた祭りに行ってきたよ!【11枚】 | まるりわーどぷれす

高校野球青森大会で、母校弘前高校が準優勝:優勝した弘前学院聖愛は初優勝

今日行われた、第95回全国高校野球青森県大会決勝は、弘前の高校同士の対戦。自分の母校である弘前高校と弘前学院聖愛高校が対戦した。どちらも勝てば初優勝。弘前高校はかつて選抜大会に出場したことがあるが、聖愛高校は初めての甲子園ということになる。白熱するゲーム展開(といっても新潟ではテレビ中継がないので、もっぱらTWitterで見ていただけだが)だったが、7回に勝ち越した聖愛高校が勝利した。

弘 前|102 000 000|3
聖 愛|120 000 10×|4

聖愛高校は、2年連続の決勝進出で、ついに優勝を勝ち取った(2年連続ということは、最近知った)。聖愛高校は、弘前の歴史あるキリスト教学校で、もともとは女子校であった。2000年に共学化し、その後野球部が創部して、10数年で甲子園にたどり着いた。今回は八戸学院光星(元光星学院)、青森山田という、青森県の強豪私立を破っての堂々の優勝だ。
前任校稚内北星時代には、サマースクールに来てくださる先生がいた縁もあり、何度か聖愛高校にうかがったことがある。共学化に踏み切ったところで、新しいイメージ作りに取り組んでいる様子が、非常に印象的だった。同じ学校法人が設置している弘前学院大学との関係を明確にするため、「弘前学院聖愛」と弘前学院という名前をつけるようになったようだ。

弘前高校は、弘前では進学校なのだが、たしか昭和40年代に一度、選抜大会に出場している。「文武両道」をうたっているので、野球部も上位に勝ち進んでいた時代はあり、自分が青森にいたころにはまだ新聞で、「古豪」というキャッチフレーズが使われていたのだが、今回はほんとうに久しぶりの上位進出。ノーシードから勝ち上がり、決勝までのぼりつめた。久しぶりの母校の活躍は、県内の卒業生はもちろん、自分のような県外の卒業生の耳にも、ソーシャルメディアを通じて、広く届いた。

弘前高校は7月の学校祭「弘高祭」の前夜祭で、クラスごとに作ったねぷたを街中で運行する「弘高ねぷた」を行なっている。ねぷた自体をクラスごとに作るので、7月はみんなこの作業に集中する(ので、3年生もこの時期、あんまり受験勉強をしない。というか、できない)。この校内が盛り上がる時期に、野球部は毎年、県予選を迎える。みんなが盛り上がる「弘高ねぷた」にもあまり参加できず、ストイックに野球に取り組んでいるのが、弘前高校野球部ということになる。そう考えると、40年近く、なかなかチャンスをめぐってこなかったストイック集団には、なんとか甲子園にたどりついてほしかったというところ。実際、こうした歴史を積み上げた野球部OBの興奮はかなりのものだっただろう。

試合終了後

ただ、弘前高校平川投手の試合後のコメントには、負けた悔しさはあるものの、ある種の充実感は感じられる。

弘前初出場まであと1歩で涙/青森大会 – 高校野球ニュース : nikkansports.com

それでも今大会全6試合に登板し、この日も125球を投げきった平川は「青森は私学が甲子園に出ることが決まりきった感じになっていた。県立高がここまでやれることを示せて良かった」と充実感をにじませた。

青森県は長らく、高校野球の弱い地域で、かつて三沢高校が甲子園で準優勝して以後は、長らく低迷時代が続いていた。「あの三沢高校以来の悲願の初勝利を目指して」というフレーズがよく使われていた。その後、青森山田、光星学院の二校が積極的な選手の勧誘もあって、頭角をあらわし、県大会優勝の常連校となっただけではなく、今や甲子園でも常に上位をうかがう強豪校と目されるまでになった。県外から積極的に選手を受け入れる一部の私立高校が力をつけてきて、しのぎを削るようになると、もはやその他の私立高校や、まして公立高校が甲子園に行ける可能性はほとんどなくなっていった。こういう経緯の中で、弘前高校などに対しても、まだちょっとだけ可能性があるかのような「古豪」という言葉を使うようなことも、おそらくなくなっていたのではないかと思う。

また、青森山田は青森市、八戸学院光星は八戸市の学校なので、長らく弘前市の学校にもチャンスはめぐってこなかった。弘前の高校が夏の甲子園に出場したのは、96年の弘前実が最後で、それ以後は青森山田、八戸学院光星が代表を争う時代が続いてきた(何回か八戸工大一が出場している)。以下の様なTweetがたくさんRTされるわけだ。今回の決勝、弘前市内数カ所では、パブリックビューイングも行われたそうだ。

聖愛高校のキャプテンは一戸選手。二本柱のピッチャーの一人でもあり、クリーンナップの一角でもあり、チームの大黒柱のようだ。別に親戚ではないのだが、ぜひとも活躍してほしい。

ひょっとして弘前高校が勝ったら、どうにかして甲子園に見に行きたいと思っていたが、その心配はなくなった。聖愛高校の活躍を、新潟で応援しようと思う。

北海道放送室谷香菜子アナの完全津軽弁番組「香菜子のなまらないと」

昨晩動画検索をしていてたまたま見つけたHBC、北海道放送のラジオ番組。実は2011年から続いている番組なのだが、北海道のみの放送なので、新潟県民が知るはずもなく、全く気がついていなかった。青森県民も、あんまり気づいてないような気がする。現在は、毎週水曜の17:10-17:20の10分番組。

香菜子のなまらないと

なまらないと

室谷アナは青森県出身、明の星高校、青森公立大学の卒業なので、完璧な津軽弁を話す。しかし普段の仕事では標準語で話しつつ、この番組の時だけ、完全に津軽弁に切り替えるようだ。津軽弁話者ならばわかるのだが、単純にちょっと「なまっている」という状態ではなく、津軽弁独特の細やかな表現をきちんと使いつつ、しかも、道民が聴いてもなんとなく意味がわかる程度に押さえている(と思う)。

内容は通常のトーク番組だが、番組宛のメールも、すべて津軽弁に「変換」しているらしく、すべてが津軽弁に満たされている。現在のスポンサーは津軽海峡フェリーで、この提供読みも津軽弁で行われるという徹底ぶりだ。単に「ネタ」として津軽弁が話されているというわけではなく、「津軽弁番組」としての完成度も非常に高いと感じた。

北海道放送はTBS系列のラジオ・テレビ兼営局。青森で同様の兼営局であるRAB青森放送は系列が異なるので、RABラジオでこの番組を放送することはなさそうだ(ラジオの場合はこの辺柔軟なようなが気もするけど)。というよりも、青森で津軽弁で番組をやっても、普通の番組なのであまりウケないかもしれない。

香菜子の今日はどんな一日かな~♪

先日弘前市役所で講演に呼んでいただいた際、津軽弁なまりで話そうとしたができなかっただけに、彼女の見事な切り替えぶりに、ただただ敬服するばかりだ。

弘前市役所で講演させていただきました:「津軽弁なまり」への切り替えは難しい | ICHINOHE Blog