カテゴリー別アーカイブ: 日記・コラム・つぶやき

Ergo/エルゴを使った「子連れ狼」の練習

先日学習したErgo/エルゴのおんぶ紐を活用して、父である自分もおんぶにチャレンジしてみた。いわゆる「子連れ狼」状態である。

娘は母におんぶしているほどの楽しさは感じないようだが、放置されるよりはいいという表情だ。

ergo/エルゴでのおんぶを検索して学んだ | ICHINOHE Blog

長女の生後100日写真をStudio Roopで撮ってもらった

昨年マタニティフォトを撮っていただいたStudio Roopで、娘の生後100日の写真を撮っていただいた。Studio Roopは新潟美少女図鑑を撮影しているPhotographerのチーム。雑誌などの撮影のほか、各種の家族写真にも対応してくれる(妻が出産した竹山病院にも、写真が展示されていて、撮影プランなども提供されているが、うちは全くそれとは関係なく、独自にお願いした)。

studio Roop blog

100日目はちょうど年末だったので、年があけて1週間ほど過ぎてからの撮影となった。今回はStudio Roop代表のCoziさんに撮影していただいた。どうもありがとうございました。

Studio Roopは入居していた古町のビルが老朽化して移転、鳥屋野のビッグスワンやエコスタジアムの近くにある、Roop Villageというカフェ施設に併設する新しい拠点で、撮影していただいた。ペレットストーブがあったり、前回同様非常に気の利いたおしゃれなスペースで、しかしゆっくりくつろぎながら撮影してもらうことができた。

赤ちゃんが泣かないように、おもちゃを用意したり、手順を踏んだ撮影にも工夫が凝らされていたこともあり、娘はほとんど泣くことなく、かなり笑ってよい写真を撮っていただけたと思う。娘は娘で、外に出かけている時には、あまり泣かない傾向があり、今回に至っては、シャッター音が鳴り出すと、カメラの方を見て、時折笑うように努めているように見えた(あくまで見えただけですが)。

もちろん我々夫婦と一緒に3人で撮影したり、マタニティフォトの続編っぽいカットを撮ったり、撮影自体も非常に楽しかった。Coziさんに撮っていただいたものは、近日送られてくる予定。こちらではとりあえず、私が撮った写真を何枚か載せておきたい。

長女が生まれました | ICHINOHE Blog

長女が生まれました

連休初日の9月21日、長女が誕生した。2978グラム。出産前に性別がわかるとはいうものの、通常の診察で確定できるのは男子であるということだけらしく、9割がた女子だろうという状態だったのだが、無事女の子が生まれてきた。性別はどちらでもよかったのだが、男の子よりも女の子のほうが、やはり父親としてはうれしいものなのだろう。比較のしようはないのだけど、たしかにこれからの成長が楽しみだ。

妻の年齢は、出産のリスクが急上昇する年齢には達していないが、自分は40代。一番下の妹が生まれたときの、父の年齢とほとんど変わらない。妹が生まれた後、父が老いと対峙しながら、幼い妹を育てるために奮闘するのを見てきた。今後の生活が大変になることは容易に予想がつくのだけれど、それでも今は、新しいメンバーが、元気に我が家にやってきてくれたことを素直に喜びたいし、それだけの元気が、湧いてきているように感じている。

My Daughter and Me #mydaughterandme

さて、出産までの記録。

予定日の9月27日には出張の予定だったし、それ以外も週末含めて出かける予定がたくさん入っていたので、学期に入ったら立会いは厳しいだろうと思っていた(あるいは、強引に仕事を休むか)が、絶妙のタイミングで、生まれてきてくれた。おかげで出産に立ちあい、「生まれる/産む」という出来事を共有することができた。

妻は体力に自信があるとは絶対に言わない(言えない)人なので、難産になるのではないかと心配していたが、今回の出産は、医師・助産師とも「理想的」と口をそろえるほど、きわめてスムーズであった。

前夜は夜遅く返ってきて、Studio Roopから届いたマタニティフォトを楽しく鑑賞、かなり遅い時間に寝ることになった。

Maternity Photo, Studio Roop 20130913

Studio Roopから写真が届きました

Studio Roopでのマタニティフォト撮影は、ぜひやろうと思っていて、なんとかタイミングを作ることができてよかった。Facebookで見る限り、Roopの皆さんは非常に忙しそうにしているので、急にお願いしたにもかかわらず、撮影していただけたのもラッキーだった。

今回撮影してくれたカメラマンの濱口さんが、「うちも別のカメラマンに撮影してもらったんだけど、撮影終わって数日後には生まれた」という話をしてくれた。うちは2日後には生まれなかったが、写真を見た途端に事態が動き出すことになった。

ちょうど自分が眠り始めた、朝の4時頃。妻ががばっと起きだして「やばい!破水した」とトイレで叫んだ。自分は眠い目をこすりながら何とか起きだして、破水後の対応についてググって確認(妻はすでに臨戦態勢あったので、どうすればいいかあらかじめ勉強済みだったのだけど)。妻には、後部座席で横になってもらい、病院へ。この時点では、陣痛は全くない。通常はこの後陣痛がくるものだけど、こなかったら促進剤などの措置も考えられるという説明。とりあえず24時間様子を見ましょうということになった。

この段階ではまだ妻にも余裕があった。すでに用意してあった入院キットのかばんに入っていなかったものを取りに行く必要もあり、また正直殆ど寝てなかったので、自分は家に帰って寝ることにした。実はこの日、学生たちがボランティアに参加する、「世界網膜の日」全国大会が、新潟市総合福祉会館で開催予定で、Keiwa LunchのチームでUst配信も実施予定だったのだが、私の手元にあるビデオカメラを会場に持ち込む必要があった。さすがに朝から会場に行くのは難しそうだったので、Facebookで学生たちと運営担当のおっちーさんに連絡、おっちーさんにカメラを取りに来てもらうことができた。
そんなこんなで落ち着かず、なかなか寝付けなかったが、なんとか数時間寝たあとで、忘れた物資を持って病院にもどってみた。まだこの段階でも陣痛はきていない。これは自然に生むのは難しいだろうか。破水した後は、胎内に菌が入りやすい状態になるので、そのままにしておくことはできないという。長くなりそうだった。

まだ陣痛はなく、さらに持ってくるものが出てきたので、もう一度家に戻り、イベント中の総合福祉会館に立ち寄ることにした。ちょうどお昼休みで学生たちの活動をゆっくり見ている時間はなかったが、2年生も全員揃っていて、UST配信も順調に行われていることを確認することができた。この段階で学生たちも状況を知っているので、「今日生まれるんですか!」という質問をされたが、陣痛も全く来ていない状態なので、「たぶん今日はまだ生まれない。明日だねえ」と話していた。

世界網膜の日全国大会 #niigata #keiwa

13時過ぎに病院に戻ると、軽い陣痛が始まっていた。軽いといってもどの程度かは自分には分からないのだが、会話する余裕はあった。食事は一部吐いてしまったそう。ただこの段階でも助産師さんは「まだまだでしょう。」と。妻が言うには、これからの痛さはいまの何十倍かだと言われたと。えー、そんなにか、耐えられるかなあ。まだこれからときいて、お腹がすいてきた。長期戦に備えて、病院の近くの中華料理でひとり昼食。

14時半ぐらいか(店を出るときには、表の看板が「準備中」に変わっていた)、食事が終わって病院に戻ると、どうも様子がおかしい。本格的な陣痛が始まっている気配がする。「誰かが上に乗っかっているような痛み」といいながら悶絶し、さっきは長期戦の見通しを立てていた助産師さんも、頻繁に様子を見に来るようになった。会話していられるような状態ではない。痛みがおさまったら、分娩室で診察しましょうということで、悶絶しながら移動。自分は陣痛室で待機。分娩室からは定期的にうめき声が聞こえる。「あれ、このままこっちには戻って来ないで、生まれてしまうの?」と思った。結局30-40分ぐらい「診察」は終わらず、その後助産師さんが自分のところへ。「旦那さん、どうも生まれそうです」と。両親など家族に連絡だけしておく。

着替えて、手を消毒し、分娩室に入る。1時間半、何もできず、ただ妻の横にいて、「ひっひっふー」に参加するだけだったが、あっという間だった。助産師さんのすばらしいリードがあったのだろう。

妻は涙を流して苦しみながらも分娩室での会話に参加。助産師さんが「歳のせいで頭のなかに汗をかくようになった」というと、「え、ほんとですか!私もです。」といい、途中で「あー、(さわ山の)おはぎ食べたかった」と言い出して笑いを誘っていた。こうやって途中で普通の会話をする妊婦はめずらしいのか、「一戸さんは面白い人ですね」とほめられていた(たぶんそうやってリラックスさせているのだろうけど)。

最初分娩室に自分が入った時の陣痛ピークは一旦おさまったが(おさまってなければおそらくすぐに生まれていたのだろう)、断続的に陣痛は続いた(なので、下がった時に会話に参加していたのだと思う)。「あれ、おさまっちゃったね」と助産師さんに言われ、妻は「こうやって腰をゆらすと(陣痛が)来るみたいですね」とコツを発見、自力で陣痛を誘発していた。何度かトライした後、最後は力を入れないようにいわれ、その後すーっと産道をすり抜けた。おそらくあれも助産師さんのテクニックなのだろう。16時33分、女の子が外に出てきた。
おかげで妻の体のダメージも最小限に食い止められた。「次は気をつけないと、あっという間に出てきちゃいますね」と言われるほど。赤ちゃんはほどなくして、ちゃんと泣きだすようになった。ひとまず安心した。

Hello World! My Daughter

妻は妊娠がわかってから、いろんな生活上の制約に耐えて、ここまでがんばってくれた。妊娠初期の2月に道後温泉に一緒に行った段階で、(妊婦にはよくないという)まぐろには手を出さず、温泉にも入らず、もちろんお酒も飲まず、ストイックな生活を続けた。飛行機にのるのもどうしようか迷い、結局道後には行くことにしたが、かなり行動は慎重にしていた。しかし結果的には、つわりもほとんどなく、途中で大きく体調を崩すこともなく、直前までFacebookに発言するほどに元気だったように思う。

もちろんこれからがまた大変なのだけど、ひとまず無事、元気な子を生んでくれたことに感謝。かつ彼女の人間としてのパワーに、女性としてのパワーに、正直あらためて感服した。

出産後、病院から帰る前にあらためて、しみじみと、「うん、良かったね」と二人で再度確認。彼女の安堵する表情に、長きにわたって背負ってきたプレッシャーの重さを感じた。

泣いたり泣き止んだりライフ始めました

「基本的にみんな同じ顔」といわれる一戸家。家族写真を見せるとそう言われることが多い。最近は妻と私も似ていると言われるようになった。後天的にも似てくる要素が何かあるのかもしれない。女の子は父親に似るという。と考えると、父親の要素をある程度引き継いでしまうのだろう。

職業柄、学生を含めて、人に会うことは多い。こうして娘が生まれてみると、女性の「輝き」についても、これまで会った人たちの様子から、思うところはいろいろある。「天は二物を与えた」かのような才色兼備の女性にもお会いすることはあるが、むしろ多くの魅力的な女性は、「知」が「美」を補完したり、「美」が「知」を補完していたりしている。もちろん、他人には見えないところで、努力していることもあるはず。どちらかというと、こうした二物を与えられていないのに輝いている人たちをロールモデルとして、希望を持って進んでいってほしいなあと思う。まずはベースとなる家庭環境の安定が大事になるはずなので、これまで以上に自分自身の精神の安定と充実した家族との時間を持つことができるよう、努力していこう。

Roomba 780 活躍してます。

ルンバ780で掃除の自動化実験を開始

普通の家庭では、暮れに大掃除をするのが日本の習わしだが、我が家は年明けに一念発起して、いろいろなものを整理し始めた。その過程で、というか、その作業を後押ししてくれたのが、自動掃除機のルンバ。たまたま動いている動画を見たら、これぐらいの精度で定期的に掃除をしてくれるのであれば適しているのではないかという気になり、思い切って購入してみた。

Roomba 780 活躍してます。

購入したのは最上位機種のルンバ780。オフィシャルサイトやケーズデンキでの値段は高かったが、Amazonではかなり値段がこなれていたので、思いきって最上位機種にしてみた(その後ニトリのCMを見て、「そんなに安いのがあったのか」とちょっと後悔したが)。

ルンバに踊らされる人々

さて、今のところの働きぶり。まず平面的に動くので、床に障害物があると、ルンバが入っていって掃除することができない。そこで人間は、ルンバの障害になりそうなものや、吸い込まれて困るものがない状態にする必要がある。床をはわせているケーブル類も整理が必要だ。一応置いてあるものは感知して衝撃をやわらげているというのだが、オイルヒーターにも遠慮なく突撃し、耐震装置が発動してしまっている。というわけで、一番の効用は、きちんとルンバが活躍できるような環境を作ろうと人間が努力することにより、私の散らかった仕事部屋までもぐんぐん「人間が」片付けるようになったということ。

ルンバの行き先を見ながら環境を整えることになったため、我が家でルンバはすでに「擬人化」し、「るんさん」とか「るんさま」と呼び、彼の行動に振り回されている。

スケジュール機能を設定
ルンバ780機能の一つ。毎曜日1回の稼働時間を設定できる「スケジュール機能」は設定してみた。これにより、知らない間に掃除が行われているはず(まだ確認していない)。

部屋の隅や立体部分は入らない
テーブルの足の部分などは、それを支柱にして回転するので、案外きれいに回っている印象だが、構造上、部屋の隅にまでは掃除できない。もちろん平面的にしか掃除ができないので、高い段差のあるところをよじのぼるようなことはできない。低い段差は乗り越えられるので、毛足の長いものでなければ、カーペットなども乗り越えて掃除してくれる。

汚れがひどいところに繰り返し?
780には、「ダートディテクトモード」という機能があり、汚れがひどいところを感知して繰り返し掃除するということになっている。今のところ真価のほどはなんともいえないが、繰り返し「訪問」してくれているような気はする。

ライトハウス機能は必要?
付属品の「お部屋ナビ」により、複数の部屋を順番に掃除させることができるという。まだ使っていないが、使っていない場合には、気まぐれに(?)、隣の部屋にも入っていって掃除しているような気がする。部屋ごとにやらせることで、きっちりもれなく掃除するようになるのかもしれない。こちらはそのうち試してみようと思う。

まだまだ完全自動化には時間がかかりそうだが、ずぼらな私たち夫婦をかなりサポートしてくれそうな「るん様」ことルンバ 780。なかよく暮らして行きたいと思う。

ルンバの多彩な機能 | iRobot ロボット掃除機ルンバ 公式サイト

ロックサンに試食会に行ったら結婚祝賀サプライズパーティだった

昨日、新メニューの試食会があるというので、新潟古町のロックサンにうかがったのだが、実は行ってみたら自分たちの結婚を祝うパーティだった。本当にびっくりした。

実行委員長あいさつ。企画、どうもありがとうございます。

 

新潟駅に行く途中に、店長から「準備に手間取っているので7時半ちょうどに来てほしい」という連絡をもらった。新メニューの準備だから大変なんだなと思う一方、別に早く着いて待っているのでも全く問題ないのだが、となんとなく変な気がしたのだが、この段階でも何も疑いを持っていなかった。

妻は職場から直接向かっていたので、バラバラの到着になりそうだったが、新潟駅で追いつけそうだったので、連絡をとりあって、一緒にバスに乗ることにした(ここで合流していなければ、計画は破綻していた)。古町まで着くもまだ時間が早いので、少しぶらぶらと散歩して、お店に。お店の前には携帯で話している女性がいて、「あー、この人も招待者で、時間調整しているのかな?」と思った。全くハズレ。

中に入ったらクラッカーと「おめでとう」の嵐。すぐにティアラとプラスチックの大きなボータイをつけられた。よく見ると、NSMCや湯沢WSに関係した、学生や卒業生たちの姿もあり、「あー、これは大きな極秘プロジェクトだったな」と、状況を悟った。就職したばかりの卒業生たちは、まだ職場にもなれない中、無理をして出てきてくれた。本当にどうもありがとう。

何人もの方から、「二人のおかげで、こんなにたくさんの人達とつながることができた」と言っていただいた。たしかに、自分がというよりも、新潟ソーシャルメディアクラブ(NSMC)が、新潟のアーリーアダプタたちをつなげて、コミュニティを定着させてきたんだなと、あらためて理解した。

準備期間がどれくらいあったのかわからないが、Facebookグループがかなり盛り上がったと聞いた。まさかロックサンを貸しきるほどの人が、自分たちのことを祝うために集まってくれるとは。プレゼン、ゲーム等もたくさん用意されていて、とても楽しいイベントだった。準備にもかなり時間がかかっただろうと思う。

二人のイラストを、ささきとしさんに描いていただいた。としさんは越後線を擬人化したイラストを描いてくれた人だが、本来は結婚式などで使う似顔絵を描くのが本業だ。実は弘前での結婚式にあわせて描いてもらおうかなとも思ったのだけど、思いついたのが間際だったし、あきらめたという経緯があった。今回のパーティにあわせて、寝る時間を削って用意してくれた。その他にもたくさんのプレゼントをいただいた。皆さん本当にどうもありがとうございます。

Bottle

平日夜にもかかわらず、たくさんの方々に囲まれて、あらためて結婚を祝ってもらった。かなり前に入籍していたので、こそばゆいところもあるのだけど、入籍時にはまだ形ができていなかった新潟のコミュニティが、この2年半で形となり、そのコミュニティの皆さんから、改めて祝っていただく形となった。今後ともどうぞよろしくお願いします。

完全なサプライズパーティだったので、予想外に帰りが遅くなり、今朝は眠い目をこすりながらの東京への移動となった。

shinyai's wedding

弘前昇天教会で聖婚式

4月14日、実家のある弘前の、弘前昇天教会で、聖婚式を行なってきた。青森聖アンデレ教会の八戸功司祭が司式をして下さり、弘前昇天教会に常駐する聖職候補生佐々木康一郎さんや教会の皆さんに多大なご支援をいただいた結果、素晴らしい式となった。新潟ではすでに2年以上夫婦で活動し、初めから二人セットでお付き合いいただいている方も多いのだが、改めて、自分たちの立ち位置を確認して歩み出す、良い機会になりました。どうもありがとうございました。

shinyai's wedding

妻の着たドレスは、妹たちと同様に、母が作ってくれた。二人共実家で着替えて一緒に車に乗り、そのまま教会に移動した。

式は家族、親戚、お手伝い下さった教会の関係者だけで行ったのだが、指輪を作ってくれた友人、Karen JewelのKarenが香港から指輪を運んできてくれて、そのまま参加してくれた(なので、弘前にいる間、会話の半分ぐらいは英語だった)。カタカナ以外は読めるので、礼拝の流れにはついていけたそうだ。

Our Rings

当日の午前中に突如、Facebookに「報告」を書き込んだところ、大量の「いいね」とコメントをいただいた。こちらもまた、どうもありがとうございます。

弟がこの教会で式を行ったのが2004年で、自分の式が4人の兄弟姉妹で最後となったが、結局全員が弘前昇天教会で式を挙げることとなった。今回Karenが実家にも遊びに来てくれたので、父が過去の写真を取り出してきて、いろいろな話をした。Karenに質問を受けて気づいたが、両親も70年に弘前昇天教会で式を挙げているので、これでうちの家族全員が同じ教会で式を行った形になる。両親が結婚した時には、礼拝堂の隣に幼稚園があり、幼稚園のホールで、お茶会を行なっているが、礼拝堂はその時と基本的に変わっていない。祖父母も弘前昇天教会に連なっていたので、教会で何らかの式をあげたのかもしれない。祖父母や親族は、弘前の教会で葬送され、墓地に葬られている。弟の葬送式は東京で行ったが、彼は祖父母たちと同じく教会の墓地に葬られ、礼拝堂の中にも名前が刻まれている。家族それぞれの、教会との距離感は微妙に異なるのだけれども、弘前昇天教会がベースとなって、自分たちの人生の要所には、ずっと弘前の教会がある、ということになる。

弘前昇天教会は、昨今観光名所の一つとなり、よく観光客が見学に訪れている。その割にはKarenの乗ったタクシーは、教会の場所を知らず、だいぶ迷ってたどり着いたようで、必ずしも市民には認知されていないのかもしれないが。

Hirosaki Shoten Church, Hirosaki, Aomori / 弘前昇天教会(青森県弘前市)

えきねっと(JR東日本)|弘前昇天教会(青森県)

式の後は、妹たちの時と同じように、親族が各地から持ち寄ったお菓子でお茶会。妻が新潟から買っていった、中身がさまざまの笹団子は話題となった。特にあらめやきんぴら入の笹団子はしょっぱいので、その意外性が好評であったようだ。夕方は家族・親族等、さらに少人数でシェ・タテヤマに行き食事。弘前の洗練されたフランス料理店の一つで、なごやかな雰囲気の中で、皆さんと親しくお話ができた。

弘前市にあるフランス料理のレストラン『シェ・タテヤマ』|レストランウェディング/結婚式/デザート/カフェ

翌日15日は、Karenを連れて3人で弘前市内を観光。弘前城天守閣やねぷた村へ。弘前公園の桜はまだつぼみも膨らんでいない状態で、桜好きのKarenには申し訳なかったが、まあ次の機会にということで。自分たち夫婦は、GWにまた戻ってきて、ベストタイミングで桜を見ることができそうだ。

弘前城の天守閣からは、岩木山が頂上まではっきり見えた。前日父がKarenに自分の版画を披露していたが、多くの作品の背景にある岩木山が、弘前の人々にどれだけの存在感を示しているものなのか、よくわかってもらえただろう。

Mt. Iwaki

ねぷた村の中にも、久しぶりに入った。香港人から見ると、なんで青森の祭りに三国志や水滸伝の絵が出てくるのか、よくわからないようだった。たしかにその通りではある。しかし、竹森節堂が葛飾北斎の画風に習って、現在の三国志・水滸伝をベースとする弘前ねぷたの鏡絵の形態を確立したことも、ちゃんと説明されていた。他にも、こぎん、津軽塗、駒など、津軽地方の伝統工芸品が制作工程を含めて展示されていて、あらためてよい施設だと思った(残念ながら日曜日なのにお客さんは少なかった。オフシーズンはあんなもんなのか)。

津軽藩ねぷた村ホームページ

その後、東京に戻るKarenを見送りに新青森駅へ。1Fのお店を一通り見たが、新しいけれども、青森駅とさして変わらないサイズで、欲張らず身の丈にあったサイズといったところ。駅周辺の開発はまだまだこれから、なのだが、すぐに函館への延伸が見えているだけに、行く末がちょっと心配ではある。

その後日本海側を一路新潟へ。往路では見逃したが、帰りは鶴岡からあつみ温泉の間も、日本海東北自動車道を利用した。あつみ温泉ICの入口は、ちょっと奥まったところにあるので、気をつけていないとまた往路では見逃しそう。ともあれ、あつみ温泉も鶴岡市なのだが、鶴岡ーあつみ温泉の間もかなり距離があり、高速道路ができたことで30分ぐらい短縮された(ような気がする)。

With @ttachi

ブロガー @ttachi こと立花さんと15年ぶりに再会

With @ttachi

With @ttachi, a photo by shinyai on Flickr.

「必ず結果が出るブログ運営テクニック100 プロ・ブロガーが教える“俺メディア”の極意」出版記念オフ会で、「15年ぶりぐらいでお会いできた方」というのが、 @ttachi こと、立花岳志さん。

以前立花さんが、Web日記「思うこと」を本名で書いていらした90年代後半、歌舞伎町の韓国料理「まつや」で開催したオフ会に来てくれて、たった一度だけお会いした。

当時の歌舞伎町コリアタウンは、今とは違って、日本人には近寄りがたい雰囲気の街だった。そこであえて、色んなネット界の人をごちゃまぜにして集まる企画をやってみたところ、実際にも見事なカオスだったのを、なんとなく覚えている。

その後再会する機会がないまま、自分が稚内に引っ越してしまったが、「思うこと」という立花さんのブログは、ときどき読んでいた。

かつてはもっと内省的な内容だった(気がする)立花さんの日記。昨今「No Second Life」という、前向きな、iPhoneやLifehackなどのトピックが並ぶブログに変わり、ご本人も独立して活躍されている。

No Second Life

こうした活躍をずっと見ていたので、1度しか会ったことがないにも関わらず、長く深い付き合いの人に再会したような、不思議な気分であった。

直江重彦先生の訃報

3月に中央大学を定年退職された直江重彦先生が、亡くなられていたことを知った。
テレメ協ニュース秋号に、村岡清男さんによる追悼文が掲載されている。
中央大学 | ニュース | 直江重彦教授最終講義【3/12(土)】を中止します
テレメ協ニュース秋号
直江先生は、90年代に仕事をしていたRITE(現マルチメディア振興センター)の大先輩で、その後情報通信総合研究所でも活躍された方。ご一緒に仕事をさせていただいたことはないのだが、何度か直接お話を伺う機会はあった。迫力のある、歯に衣を着せない話しぶりの先生で、人をひきつける語り口だった記憶がある。
実は直江先生とご縁が深かったのは僕の弟naoyaで、中央大学総合政策学部の直江ゼミの一期生であった。当時直江先生と直接の面識はなかったのだが、僕は弟に、直江先生のゼミがいいのでは?と示唆した記憶がある。
弟の生き方を体現する自分という存在について: ICHINOHE Blog
この経緯についてふれた、上のブログ記事が目にとまり、直江先生の訃報について、今日お知らせいただいた。
直江先生のご冥福をお祈りいたします。

スーパークールビズは革命なんだな:日経ビジネスオンライン

「スーパークールビズ」に関する小田嶋隆さんの分析。
客観的な分析を通して、「オヤジ」たちの保守的なマインドをちくちくと皮肉っている。
スーパークールビズは革命なんだな:日経ビジネスオンライン

スーパークールビズは定着しないだろう。若手社員の中には歓迎する組の人間もいるのだろうが、オヤジ連中は黙殺する。とすれば、このプランはおシャカだ。というのも、ビジネスはオヤジのフィールドだからだ。オヤジに嫌われた商品が成功することはそんなに珍しくない。が、オヤジの歓心を買わないビジネスマナーが標準化することはどうあってもあり得ない。
 クールビズ問題は、ファッションの問題ではない。体感温度の問題でもない。エアコン設定温度の高低でもなければ、省エネルギーの是非でもない。オフィスにおけるあらまほしき服装をめぐる問題は、職場のヘゲモニーの物語であり、地位とディグニティーと男のプライドを賭けたパワーゲームであり、結局のところオヤジがオヤジであるためのマインドセッティングの問題だ。

僕は年に何回もスーツを着ることがなくなって久しく、もはやこの手の「パワーゲーム」から降りてしまったので、「他人事」として楽しく読んだ。最後のページで、どうやって革命を起こすかという結論が述べられている。声を出して笑ってしまった。
いろいろ考え方はあるだろうが、滑稽であるけれども、これは日本社会に一断面。学生たちには、この滑稽さを自覚しつつも、慣習とうまく折り合いをつけられるようになって、しかもその中で自分の力を十分に発揮できる周到さを持って、社会に出ていってほしいなあと思う。