カテゴリー別アーカイブ: パソコン・インターネット

ALPSLAB photo

リンク: ALPSLAB photo.

Flickrの写真データを地図情報にリンクできるサービス。これは日本語対応だが、その代わり国外には出られない(北方領土、竹島等はチェックしてない)。

まだちょっと操作がめんどくさいというのが正直なところ。それにしても、新潟県は登録情報が少なすぎる。関越トンネルで。。。

 

「ユーチューブは本当にWeb 2.0か」–「Web 2.0の倫理」をめぐって盛り上がる議論(その1) – CNET Japan

リンク: 「ユーチューブは本当にWeb 2.0か」–「Web 2.0の倫理」をめぐって盛り上がる議論(その1) – CNET Japan.

非常に興味深い。このところFlickrを使ってみて、その自由で開放的な環境が気に入ってたところ。その意味では、ユーチューブが自由にダウンロードさせないところや、ミクシーの中でできることをリストアップしてみると、あれ?WEB2.0って、こういうことだったっけ?という気になってくる。

そこで定義論争をして見たり、Buzz wordだと断言しても意味はない。そうではなく、この局面で私たちはいかなる価値を大事にしなければならないのかということということが、本質的な問題なのだろう。

グリーはどこへ行くのか – CNET Venture View

リンク: FBITニュースアーカイブス2006-6 : <KDDI>au携帯でSNS 年内にも.

という記事をみかけて、

リンク: グリーはどこへ行くのか – CNET Venture View.

この話題を見逃していたことに気がついた。

携帯で文章を打つのはめんどうな自分としては、せいぜい写真をアップする程度しか、モバイルでの情報発信は想定できない。ただ、情報の受信端末としては、もっともっとPCと携帯の環境をシームレスにできたらなあと思う。

クラッシャーがGREEの死にっぷりに唖然としたようだが、ここから巻き返しなるかどうか。

安倍総理メールマガジン創刊、首相官邸WebサイトではRSS配信開始

リンク: 安倍総理メールマガジン創刊、首相官邸WebサイトではRSS配信開始.

自宅のBフレッツが開通。今晩ようやく「ネット難民」生活から解放された。

今日は、以前から情報科目を教えている、非常勤の先生とお話をさせていただいた。意見の一致があった点なかった点、いろいろあったと思うが、敬和のIT、ネットワークをめぐる状況について、当初の分析はおおよそ外れていないということはよくわかった。

首相官邸までもRSSをつかっているのであるから、広報に熱心であるべき地方私大がRSSに手を付けないというわけにはいかないだろう。まあ、順々に手を付けていくしかないかな。

(教育)にITをどう使うか

2005/2/28
「この世は弁証法でできている」
は、どうやらゆきみ先生がユーミーの疑問に答えたもののようだ。
情報教育を狭い「コンピュータの使い方」という考えから解き放って、ツールとして、教科教育やその他教育のあらゆる場面に応用することから考えようということだろう。「応用」っていうのは誤解を生むかもしれない。教育という目的を側面支援するものが「情報」なり「IT」であり、それによって教育のすべての領域が活性化されると。
そうなると、やっぱり情報教員も「側面支援」っていう今の位置づけから抜けられなくなるのかな。でも考えようによっては、情報教員は学校での教育プロセス全体を見渡して、必要な技術を導入したり、生徒の適応力(使えるようにする)を高めるという役割も担っているともいえる。
ここでの内容は、「教育」である必要はなくて、たいていのジャンルのことに共通するだろう。技術的先進性と、それを利用したときの効果とか、インタフェースをどう改良するかという問題は、だいたい別の次元の話になる。そしてどうも技術者はそういうことを瑣末な事柄として軽視する傾向がある(ように思う)。
一方自ら開発する技術を持たない利用者は、本質的に技術の奴隷になってしまう。もちろん現れた技術を評価して、受け入れたり受け入れなかったりという選択はできるのだが、たとえば「こんなコミュニケーションツールがあったらいいなあ」と夢想したところで、それが実現できるかどうかは開発者しだいなのだ。だから、開発されたものを試してみるところからスタートするしかないし、あるいはそういう「奴隷」状態に反発を感じる人は、もはや新しいものに食いついてみようという好奇心すら失ってしまう。
そろそろそういうコンプレックスから卒業したほうがいいと思うのだけど、なかなかそうならないから、いつまでたっても表計算を教えてごまかす「なんちゃって」情報教育がはびこるのであろう。教員サイドのコミュニケーションがうまくいっているならば、情報教員を中核にしながら、「もしこういう技術があって、それに教員・生徒・学生が対応可能だったら、こんなことができるのに」という夢想談義ができるし、そこから先いろんな可能性が広がりそうではある(やらないんだろうなあ)。やらない雰囲気もなんとなくわかる。
情報教員は少なくとも、新たな技術を利用することについて、鋭いアンテナとキャッチした情報への好奇心を持ち続けられる人でなければならない。ルーティンに釘付けにされるようでは、やがて「表計算でいいですよ、うちは」という人になってしまう。そういう意味では、「教育教育教育」と唱えてやまない情報メディア学部の教職履修者は、「情報」がもたらすものについて、もうちょっとまじめに考えたほうがいいし、まじめに考えたならば、もうちょっと卒業研究の方向性も変わってくると思うけどなあ。
もちろんこれは「情報」の側から考えていった場合の考え方で、「教育」それ自体にさまざまな別の課題があることもわかっているけど、ここは教育学部じゃないし、それでは教育学部出身者と勝負できないんじゃないかなと思う。
さて前々から学生から言われていること。教職履修者に今のカリキュラムは難しすぎるという話だ。この指摘にはいつも考えさせられる。たしかに技術者になるための教育を教員になりたい人が受ける必要はなくて、もう少しユーザの視点で適応力を高めたほうがいいように思う。が、それも程度問題だ。僕もそうだけど、結局「技術の奴隷」になってしまうと、どうしても発想がそれに制約されてしまう。耳元で悪魔がささやく「表計算でいいじゃん」という言葉に負けてしまうのだ。必要なものを自ら調達して、一つの学校での「情報」を組み立てていくためには、「目利き」の力ぐらいは必要だろう。「奴隷」ではなく「目利き」になるためには、どの程度のことをやったらいいのか。答えはない。

音声ブログ事情

あれこれ考えて、大学でラジオでもやってみようかと思っている。
稚内の学生たちの世界は、それはそれで面白いことも多いのだけど、丘の下にいる稚内の人たちにもあまり理解されていないし、まして稚内の外にいる人たちにも、最北端なマニアックな大学としてしか思われていないふしがある。
同じマニアックでも、うちのゼミに所属したり、遊びにくる学生たちは、どちらかというと「デジタルな面白いこと」に貪欲な人たちだ。(これも学内では、著作権や法律ばっかりやってるやつら、と思われている)
で、ラジオ。いやテレビでもいいんだけど。大学にあるスタジオを使って、気軽に、「今日ちょっと録ろっか?」っていう感じで始められるのは、音だけのラジオじゃないかなと。そのうち、コミュニティFMにも売り込めればもっといい。
というわけで、4月開局に向けていろいろ調べ始めた。
デジオ:音声blog座談会 : Hotwired
livedoor ねとらじ
Wired News – ネット音声をiPodで聴く『ポッドキャスティング』 – : Hotwired
一人でしゃべくって、mp3にするだけだったら簡単にできそうだ。
問題はスタジオのミキサーの操作を習得しないといけないということだが、そこはH君が大学に残ることになりそうなので、まずは3月にそれをみんなで学ぶか。音楽はかけない。あるいは許諾を得やすいインディーズ系で探すか。
できればSkypeがあるんだから、東京サテライトの学生も参加して、稚内-東京でわいわいやるのもよい(やってみたい人いませんか?)。
うちの弟にもSkypeでなんかしゃべらせよう(うざがられそう。。。)。

Wired News – 「10代の若者を引きつけるウェブサイト」の作り方 – : Hotwired

大学でウェブサイト構築に関わっているので、この手の話題には敏感に反応してしまう。
Wired News – 「10代の若者を引きつけるウェブサイト」の作り方 – : Hotwired

何よりもまず双方向性だとニールセン氏は語る。
 「それが共通する特性のようだ」とニールセン氏。この調査のためにニールセン氏は、さまざまなジャンルの数十のウェブサイトを使う米国とオーストラリアの10代の若者を観察した。彼らは「ただ座って読むだけではなく、まったく違うことをしたいと思っている。ただ座って読むのは往々にして退屈だし、そんなことは学校ですでに十分やっているというのだ」
 ニールセン氏によると、双方向性を有するもので最適なのは、掲示板、投票、クイズ、専門家に質問できる機能、あるいは若者が自分のウェブページを作成できるツールなどだという。
 このほかに若者が魅力を感じる要素は、文章で意見を交わす負担が軽減される、そうかといってページを圧迫しない程度の、写真や画像の使用だ。雑然としていたり文章だらけのウェブページを嫌うのは大人も同じだが、大人は画像に対して文字の割合が高いページにずっと寛容だとニールセン氏は指摘する。
 またコンテンツが充実していてもプレゼンテーションが貧弱なウェブサイトの場合、大人に比べて若者を引きつけにくい傾向があるという。
 ニールセン氏はこう話す。「この調査でそうした傾向を数多く確認した。(若者は)1ページか2ページを見てすぐに判断を下す。大人は、ページを見るのに2時間も費やすことはないが、『これは自分の仕事や休暇に必要だ』と思ったらより忍耐強くそこにとどまる」

アメリカ・豪州の10代と日本の10代が、全く同じように考えているとは思わないが、プレゼンテーションの貧弱さを何とかしないといけないというのは、おそらく日本についても当てはまる。
「本文なんて誰も読まない」
っていうのは、紙モノ、WEB双方に共通した従来からの僕の持論ではあるのだけど、仕事をするほうはどちらかというと、「原稿を書く」というところに「仕事をした」感が強いので、なかなか転換ができない。大学のセンセが書き手なので、その傾向は一般企業よりさらに強まる(ような気がする)。

バツの悪い再会代行SNS

どうもGREEよりもmixiのほうが、元気ができてたようだ。
レイアウトが整理されていないせいで、ついつい余計な情報まで見えてしまうGREEが、かえって個人的には好きだったのだけど。がんばって整理してしまったせいで、特性が失われてしまったような気がする。
高校の同期とか昔WEBチャット草創期の知り合いと、最近mixiで再会している。
この前口頭試問をやった別のゼミの学生が、チャットには、日常生活とは異なる「一期一会」があると書いていた。
街で再会しても「ああまた会った」という程度にしか思わないのに対して、匿名のインターネット上では、再会の感動が非常に大きいのだそうだ。あ、二度会ってるから「一期一会」じゃないか。
僕が思ったのは、それって「稚内」感覚だなってこと。昔の友達と新宿駅ですれちがったことは何度かあって、そういう時には少なからぬ感動があった。稚内だとたしかにそれはない。店でばったり会っても、またすぐ会いそうだしね。いや、でも普通の勤め人には、稚内でも同じような現象が起こってるのかもしれない。
さて話を戻して。
この「新宿駅での再会」で困るのは、お互いの記憶の度合いが必ずしも一致しないこと。
記憶があいまいでも、結構仲がよかったというならばまだいい。友達というより知り合いというのが妥当な関係であった場合には、特に大変だ。「えーと、お名前は。。。」とぎこちない会話になり、相手が明確に覚えていたりするとこちらの立場が。。。ということになる。
SNSはこの「微妙な知り合い」との再会にはすごく適している(mixiで再会した人がみな「微妙な知り合い」というわけではないです)。間接的で、しかも白々しい「ひさしぶりー」といった会話を交わすこともなく、「足あと」だけが残っているってこともありうるわけだ。もちろん「足あと」が残っているということに、「どういう気持ちで無言で足跡だけ残したんだ?」という不安感が生じる可能性もある。でも、彼/彼女も元気でやってるんだなあという生存確認ができて、多少過去の良かったり悪かったりする記憶が呼び戻されるという時間を、それぞれすごすことができる。
もう一人、「バーチャルコミュニティ」を研究したこれまた別のゼミの学生は、SNSを会員制の「ムラ」社会と称し、機能分化した、その場限りで都合よく選ばれたネットコミュニケーションのひとつとして、とりあげていた。たしかに、会員制という意味ではそうなんだけど、内側にいる10万人のユーザが感じているものは、全く違うものではないかと思う。
友達と一緒にいて、その友達の別の友達が現れて、彼らの話している会話に立ち入らないけど中身が微妙に聞こえちゃう状況。そんなに興味なかったんだけど、電車の向かいの席に座っている人の本のタイトルが見えちゃったり、ヘッドホンからもれる音が聞こえちゃったりして、妙に気になってしまう状況。
そこそこ素性を明かしながら、微妙に連なるネットワークだというのがポイントになるんじゃないかと思う。
「袖触れ合い」ネットワーキング、というのが、正直な実感。

音楽は国境を越える?

以前、指宿先生のブログで、Musicmatchというサービスを知り、それ以来愛用している。
今年の4年生が音楽配信について研究しているので、日本のサービスも含めて、音楽配信の事情についてちらちらと見ているのだが、国ごとに区切られたサービスの障壁は、非常に厚い。
日本では、レーベルゲートの音楽ダウンロードが、Windows Media Playerの中にも取り込まれたが、全曲視聴はもちろんできないし、ジュークボックス機能(ランダムな「ラジオ」放送」)もない。一方Musicmatchでは、ランダムな「ラジオ」機能は日本でも利用可能だが、Ondemand型の自分用にアレンジしたジュークボックス作りやCD購入ですら、日本では利用できない。今日、韓国のm.netものぞいてみたが、これもまた韓国国内でしか利用できないようだ。
ソフトパワーの重要性とか、コンテンツ振興とか、日本でもずいぶんいわれるようになってきたけれども、互いの他国からの利用をこうも制限していては、伝わるものも伝わらない。
ちなみに、ミーハーな僕は、Musicmatchではずっと「Top Hits」ばかりを聞いていたのだが、「Worldbeat」にしてみたら、フランス発のアルジェリアンポップとか、自分ではなかなか気がつかないところで、気に入った曲がずいぶんでてきた。
昨日学生とレッシグの「Code」を読んでいたら、MP3やP2Pの音楽ファイルの交換は、従来の「ヘビーローテーション」による「作られた流行」に対するアンチテーゼを提供したというところに、著作権侵害訴訟の回避以上の意義があった、というくだりがあった。たしかにイノベーションだな。SNSのノイズ型の情報交換(そんなに興味を共有しているわけではないけど、友達の趣味でそれとなく推薦がある)も案外重要だと思うけど。