稚内公園に立つ西岡斌像から稚内のメディア史を探る

西岡斌像

稚内公園に登る途中にある胸像:稚内市長だった西岡斌

稚内市中心部、港からすぐの丘の上にある「稚内公園」は、稚内観光の目玉の一つ。氷雪の門や九人の乙女の碑の近くに観光バスが止まり、遠くサハリン/樺太の島影を望みながら、記念撮影をする人たちが、毎年たくさんやってくるところです。

氷雪の門まで登っていく道の途中で、踊り場のような小さなスペースがあり、そこに1つだけ胸像が立っています。名前は、西岡斌(さかん)と書かれています。調べてみると、稚内市名誉市民、戦後期、昭和34年まで稚内市長をつとめた人でした。

西岡斌像

稚内市名誉市民/稚内市

西 岡  斌 (にしおか さかん) 氏
生年月日:明治29年8月20日生(昭和35年9月26日逝去)
決定日 :昭和35年9月26日

≪功績概要≫
昭和7(1932)年から同22(1947)年まで北海道議会議員を務め、同22年から34年まで稚内町長、稚内市長として町・市政を担当した。
氏は、初の公選町長であり、市制施行に伴う初代市長であった。この間、自治功労者として同31(1956)年に藍綬褒章を受章している。同35(1960)年9月26日、初の名誉市民の議決を受けた。
氏は、太平洋戦争後の混乱期の中で、旧樺太(サハリン州)との接点という機能を完全に失ってしまった稚内の再建に全力を尽され、水源をケナシポロ川とする上水道拡張事業、稚内郵便局前・ノシャップ岬間の道路舗装、中央埠頭建設をはじめとする港湾整備など数多くの功績を残した。

西岡さんのあと、市長になったのが濱森辰雄さんで、8期32年の長期にわたって市長をつとめています。つまり、稚内の公選市長は、昭和期2人だけだったということになります。

宗谷日日新聞社を設立

数年前に西岡さんのこの銅像を見つけて興味を持ったのですが、しばらく忘れていました。今週稚内の学生たちと、稚内のメディアのことを調べることになりました。そこで西岡さんの名前を再び見つけました。西岡さんは新聞を作っていたようです。

稚内に限らず、北海道では、1942年の新聞統合でできた北海道新聞、道新が、高いシェアを維持しているのですが、それぞれの地域ごとの新聞「地域紙」もそれなりに健在です。北海道テレビ放送、HTBに記事を提供している「地方新聞」のリストを見ても、それがわかるかと思います。

北海道の地方新聞リンク

HTB地方新聞リスト

稚内の場合には、このマップにある日刊宗谷と稚内プレスというタブロイド夕刊紙、二紙が読まれています。道新の支局は稚内にもあり、それなりに紙面に稚内の情報も載るわけですが、それでも情報は限られます。日刊宗谷と稚内プレス、この二紙が果たす役割は、稚内/宗谷地域では大きいです(そして二紙が以前健在だというのもすごい)。

この二紙のスタートについて調べていくと、1942年の新聞統合の際に、稚内の地域紙は道内11紙の統合には参加せず、一度廃刊になったという話にたどり着きます。このとき廃刊になったのが、宗谷新報と宗谷日日新聞で、宗谷日日新聞を発行した人物として、西岡さんの名前が出てきます。

…(明治)43年1月1日をもって宗谷新報として日刊に復活した。そして昭和2年12月8日、西岡斌が宗谷日日新聞社を起こすにいたって、新報、日日の二大日刊紙時代が、大東亜戦争が勃発直前に相前後して廃刊されるまで続けられた。(『稚内百年史』(昭和53年)、246ページ)

大東亜戦争と相前後するタイミングでどんなことがあったのか、この記述からは読み取れませんが、新聞統合の国策との関係が何かあったと推測できます。

戦後は市長に転身?

戦後は、昭和23年に日刊宗谷が創刊され、昭和27年に稚内プレスが日刊となっていますが、西岡さんの宗谷日日は復活せず、西岡さん自身は昭和22年から稚内町長/市長に転じた形になったということになります。

稚内市の北方記念館の展示に、昭和5年の「職業別索引」(電話帳?)という大判のリストがあり、以前撮影してきていました。

昭和5年稚内の職業別索引

宗谷新聞社と宗谷日日新聞社、2つ地元紙の名前が出ています(ほか、小樽新聞と北海タイムスの支局の名前もある)。宗谷新聞は、明治36年にできていて、その後樺太新聞と改題するなど紆余曲折をへて、明治43年に宗谷新報になった。と『稚内百年史』には書いてあるのですが、そうすると昭和5年には、宗谷新聞社が「宗谷新報」を発行していたということになるのかもしれません。宗谷日日新聞社は、「夕刊発行」となっていて、このときには夕刊紙だったようです。

現在、宗谷の新聞社、日刊宗谷と稚内プレスは、いずれも日本新聞協会には加盟していません。市外から、稚内/宗谷のメディア環境を詳しく知ることは難しいのですが、歴史的な経緯をたどる資料も多くはなさそうです。稚内公園にひっそりと立つ西岡斌さんの銅像からイメージを広げて、新聞人・市長として西岡さんが活躍した時代の稚内、そのメディア環境について、さらに調べてみたいと思います。

高津信之という人が、「西岡斌伝」という本を出されています(が、道外の人が読むのは難しそうです)。

CiNii 図書 – 西岡斌伝

追記:中央大学の「法学新報」にオックスフォード留学についての記事

西岡さんの名前は珍しいので、ほぼ間違いないと思いますが、1925年に中央大学を卒業し、オックスフォードに留学に向かったという記事が、中央大学史資料集で「法学新報」の記事として紹介されています。オックスフォードでの留学の後、どのような経緯で稚内にもどることになったのか。これも興味深いところです。

855卒業生の留学 〔 『法学新報』第 35巻6( 401)号大正 14年6月1日〕

○卒業生の留学

本年四月卒業したる西岡斌、黑田正雄、松本勇藏、松浦忠太郞の諸君は法律学、経済学、社会学を研究の為め英国に向け孰れも去月二十八日筥崎丸にて神戸を出帆せられたり因に西岡君はオックスフォード大学に、黑田君はケンブリッチ大学に松本、松浦の両君はロンドン大学に於て学はるる由なり

中央大学史資料集 第27集 | 中央大学

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