戦時下弘前ねぷたは運行されたのか?:「コロナ」でねぷた中止の夏に振り返る

弘前ねぷた本

2020年の今年、弘前ねぷたは中止が決まっています。そもそも今の状況では、新潟在住の自分が弘前に移動するのもためらわれる状況です。弘前では、オンラインのねぷた祭り開催、金魚ねぷたや角灯籠を街中に飾る「城下の美風」の開催など、ねぷたのない夏をなんとか盛り上げようという試みが行われているようです。

2020年夏の弘前ねぷた関連イベント

ねぷたまつりをオンライン開催へ 地域関係なく全国へ呼び掛け – 弘前経済新聞

オンラインで運行するねぷたは、過去のねぷた絵を再現しリバイバルする。「当時のカラー写真があればCGで再現することができる。写真は運行団体から募集しているが、著作権が切れている70年代以前のねぷた絵であれば運行団体以外からでも検討したい」と中川さん。

参加できる要素も取り入れ、参加者らが描く金魚ねぷたや扇ねぷたを運行させるインタラクティブな企画を用意する。中川さんによると、インストールするアプリやソフトウエアはなく、スマートフォンやパソコン上で、塗り絵したねぷた絵が数秒後にはデジタル空間で運行するという。動画サイト「ユーチューブ」で無料で見ることができる。

弘前の街中をねぷたで彩る 金魚ねぷたや角灯籠、点灯も – 弘前経済新聞

 「城下の美風」は新型コロナウイルスの影響で中止となった「弘前ねぷたまつり」に代わり弘前市が実施する企画。弘前市役所本庁ほか、土手町通りやJR弘前駅前といった中心市街に手持ちねぷたと呼ばれる角灯籠や金魚ねぷたを設置し、弘前ねぷたまつりの雰囲気を味わってもらうもの。夜間は点灯する。点灯時間は19時~23時。

弘前ねぷたまつり運営委員会の担当者によると、手持ちねぷたを軒先などに飾る風習は大正から昭和初期にあったとされ、町内運行やねぷたを行わない年にその町会では飾っていたという。「当時の風習を復活させる意味もあるが、改めて弘前ねぷたについて考える年にしてほしい」と担当者。

一方弘前市立博物館では、恒例の弘前ねぷた展が開催され、戦後を代表するねぷた絵師、竹森節堂さんと石沢龍峡さんの作品に焦点を当てるそうです。写真撮影も可能だそうで、ぜひ見に行きたいところです(難しいですが)。

青森)弘前ねぷた展、節堂と龍峡の世界 市立博物館:朝日新聞デジタル

 新型コロナウイルスの影響で、戦後では初めて弘前ねぷたまつりが中止となった今年。戦後のねぷた絵師の双璧と呼ばれ、日本画家としても活躍した竹森節堂(1896~1970)の没後50年と、石沢龍峡(1903~80)の没後40年の節目にもあたる。博物館では2人に焦点をあて、館所蔵や個人から借りるなどしたねぷた絵、日本画など約50点を展示している。

学芸員の三上幸子さんによると、節堂の作風は構図がしっかりしており、「楷書体ねぷた」と称されたのに対し、「行書体ねぷた」と呼ばれた龍峡の作品は動きがあり、アドリブ感たっぷりだという。「初公開の作品を含め、2人のこれだけの作品をそろって展示できたことはなかった」と三上さん。

「弘前ねぷた本」で、ねぷたの歴史を振り返る

弘前ねぷたが観光イベントとなっていくのは昭和30年代からのことで、かつては「喧嘩」の機会でもあったし、町内お祭りとしても意味合いも強かったのでしょう。現役世代が生まれて以降、ねぷた祭りが今のような形であったのはたしかですが、長い歴史の中では、さまざまな変化もあったし困難もあったことでしょう。こうした弘前ねぷたをめぐるさまざまな知見をまとめた本として、2019年に出版された公益社団法人弘前観光コンベンション協会・弘前ねぷた保存会『弘前ねぷた本』があります。

弘前ねぷた本|公益社団法人 弘前観光コンベンション協会

昭和55年 弘前ねぷたは青森ねぶたとともに国の重要無形民俗文化財の指定を受け、これを機に弘前市では『弘前ねぷた~歴史とその制作~』を発刊しました。(昭和58年3月31日発行)
公式なねぷた関係書籍としてはこれ以来36年ぶりとなるものです。

本書は昭和58年発行の『弘前ねぷた』の増補改訂版とも言えるものです。
『弘前ねぷた』の構成内容は、弘前ねぷたの歴史と制作の関するものでありましたが、本書はこれを再編集、加筆したものです。
「ねぷたの概要」、「ねぷたの現代」、「運行と担い手」、「資料編」等の章を加えた盛り沢山の充実した内容となっています。

昭和19年には「戦意高揚」のねぷたを開催

2020年の弘前ねぷたの中止は「戦後初」と報じられたので、戦中はどうだったのか、「弘前ねぷた本」をめくってみました。1937年日中戦争が始まって、以後終戦まで、ねぶたどころではない状態だったのはたしかで、1944年/昭和19年だけを例外として、ねぷたは中止だったそうです。1937年は、子どもたちの小さな子どもねぶたをかつぐようなことはあったようですが、翌年になると、「重大時局が幼い児童の頭脳にもハッキリと反映して金魚ネプタの類まで」一切影をひそめたと、当時の新聞に書かれているそうです(「弘前ねぷた本」86ページ)。新型コロナウイルスの感染拡大防止とはやや異なる現象で、ある種の「精神論」から、こうした自粛が生まれたのだと思います。でも「自粛」ムードがさまざまな取組を引っ込めさせて、後から見れば過剰だったかも、というのはよくある話。2020年の「自粛」がどう見えるのかは、時が経ってから振り返る必要はあるでしょう。

一方、1944年/昭和19年だけは、「銃後の士気の昂揚」を目的として文化報国会の統制下で行われたという記述がありました。「戦局が不利を告げつつある時、いささかやけくそのねぶた祭りの感があった」という現代からみた評価も書かれています。そうだったのかもしれませんし、「ねぷたバカ」とよばれるような祭り好きの人の働きかけもあったのかもしれません。

このときの灯籠には、これまでとは異なり、「尽忠報国」「滅敵」といった言葉が書かれていたそう。通例だと「石打無用」などと書かれていて、もともと喧嘩ねぶたに起源を持つ「喧嘩ごし」のフレーズが書かれているのだ、より現代的な「戦時下」仕様になっていたということでしょう(この年の灯籠の写真は、本の中には掲載されていません)。

戦争が終わり、8年間も中止されていた弘前ねぷたですが、1946年には早々に復活を果たしています。それだけ弘前の人々への祭りへの思いが強かったということでしょうが、のちに「重要無形民俗文化財」になるような「無形」のものですから、長期間の中止は、祭りの再開に影響していてもおかしくないのですが、形式が変わってしまったということもなく、スムーズに再開がされたようです。ひょっとすると、昭和19年/1944年に「士気高揚」を名目に、「やけくそ」で開催したことにより、「無形」の祭りの形が、うまく継承できたのかもしれません。

ねぷたに限らず、年中行事として人々に親しまれてきた夏祭りが消え、2020年はなんともいえない沈滞ムードが漂っています。弘前のねぷたファンも、街をねぷたが練り歩かないと、「じゃわめぐ」気持ちにはならないでしょう。ただ、今年は別の形でねぷたと向きあうのもアリだと思います。オンラインねぷたを楽しんだり、通りに並んだ金魚ネプタを眺めるのいいでしょう。同時に、市立博物館で竹森節堂と石澤龍峡の画風を見比べるとか、「弘前ねぷた本」を読みながら弘前の祭りの成り立ちを振り返るとか、「文化系」的な楽しみ方もなかなかいいのではないかと思います。

今年はねぷたを見ることができない状態に、「負け惜しみ」、ひょっとすると「やけくそ」な気持ちの現れかもしれませんが、別の楽しみ方を考えてみています。

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