屠畜という営みを素直に受け止められる映画「ある精肉店のはなし」


先週末、埼玉での授業が終わった後、東中野へ移動、ポレポレ東中野で「ある精肉店のはなし」を見てきた。上京して最初に住んだのが新宿区の落合斎場の近くで、東中野駅から10分位だった。新宿駅に出るのによく使ったこの駅近くには、24時間営業のモスバーガーが山手線沿いにあり、よく夜中に勉強するのに使ったし、食事もしたし、オウム真理教の選挙運動にも遭遇した。しかし今はもう、今の東中野駅前には、当時を思わせるものはほとんど残っていなかった(山手通りを渡った先の商店街には、まだ何か残っているような気もしたけれど、当時あまり行った記憶がない)。

ある精肉店のはなし

映画は大阪府貝塚市の精肉店「肉の北出」を描いたドキュメンタリー。親の代から肉屋を営む北出兄弟とその家族の実像に迫ったものだ。北出さんは、単に肉を売っているだけではなく、自ら牛を飼育し、これを近所の屠畜場で処理して一頭まるごと食肉として売っている。この昔からの一連の営みは、市営の食肉処理場の閉鎖に伴い、途絶えることになった。最後の屠畜が行われる日の様子も、映像に収められている。

牛が屠殺されるシーンも、それらが肉になっていくシーンもすべて出てくる映画で、最初はかなり「構えて」見に行ったのだが、実際の印象は全く違っていた。「牛を割る」という行為は、昔から被差別部落の人々の仕事とされ、それ以外の人々は、「屠った動物の肉を食べている」という感覚を、どこかで隠して生きてきた。現在はYoutubeでも屠畜の現場は映像として流れていて、「流れ作業」で動物が殺されるシーンが、多数紹介されている。その多くは「流れ作業」で動物が殺されていくことへの批判的な意味合いが込められているのだが、この映画の映像を見るとあきらかに違う印象を持つ(少なくとも自分にとってはそうだった)。人間が生きていく上で避けては通れない、他の生き物の「いのちをいただく」という行為に対して、避けることなくきちんと向きあおうという気持ちにさせられた。そう思わせてくれたのは、長らく向き合ってきた屠畜や精肉店の営みについての北出家の皆さんの語り口、あるいは、その気持を見事に映像にのせることに成功したこの作品の力ということになるのだろう。

以下のインタビュー映像の中で、纐纈あや監督が「上映後、お肉を食べたくなったいうお客さんがいてうれしかった」と語っている。自分自身も、食肉を嫌悪するような気持ちは全く起こらず、むしろおいしい焼肉屋でも行きたい気分になった(内臓の処理過程を見て、ホルモン焼きも食べたくなったぐらいだ)。肉好きを自称する皆さんに、むしろ見てもらいたい映画だ。

映画は被差別部落、部落解放運動の話も、避けることなく切り込んでいる。青森生まれで、(実はなかったわけではないのだが)あまり馴染みのなかった自分にとって、部落差別問題はどのように触れていいのかもよくわからない問題なのだが、結婚において問題が起きていないのかとか、この地域の祭りで太鼓を使わないのは藩から禁じられていたという説があるなど、具体的な表現がいくつか出てきて、なんともいえないざわざわとした気持ちにさせられた。ネットでなんでもわかるこの時代に、お店・家族まるごと映画に登場するということが、どれぐらいの覚悟を要するのかは、想像するしかない。ひょっとすると、部落解放運動に長らく関わってきた北出兄弟だからこそ、その意義を受け止めて、あえて登場したということなのかもしれない。また部落差別をめぐる現状もまた、いろいろ変化しているということもあるように感じた。とはいえ、この点もまた、映像では「からっと」描いていて、むしろ部落差別の現状について、少し勉強してみようかなという気持ちにさせられた。

今後の上映日程はこちらに。東京、大阪が現在上映中で、今後名古屋、神戸、福岡、京都、札幌、広島、長野、静岡まで決まっているようだ。新潟でもシネ・ウインドでの上映を期待したいところ。

上映劇場情報 – ある精肉店のはなし

こちらに貝塚での屠畜を見学した時の様子が、ブログで紹介されていた。
貝塚市の屠場に行ってきました。

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