Saudade

地方社会の実態を描いた映画『サウダーヂ』、4/7新潟シネウインドで公開 

昨年12月に津田大介さんのJ-Waveの番組に、富田克也監督が生出演していたを聞き、興味を持った映画。地方都市とそこで働く移民たちをテーマにした映画のようだ。舞台となるのは富田監督が生まれ育った甲府。

Saudade

実は12月に番組を聞いて、渋谷で上映中の映画を見るつもりだったが、残念ながらチャンスを逸した(その後延長されたようだが)。

4月7日から新潟シネウインドでの上映が始まることを、最近知った。初日は、富田克也監督、脚本の相澤虎之助の舞台あいさつがあるそうだ。

 

富田作品は、DVDでの発売はないようなので、ぜひ今回劇場で観たいと思う。

Goocus

Wikipediaでの「学び」を共有するアプリ「goocus」

 

ソーシャルラーニング・サービスを提供するキャスタリアが、新しいアプリケーション「goocus(グーカス」を発表した。iPhoneとAndroidアプリとして提供される。地味ながら面白いことに、公式サイトはTumblrで作られている。

Wikipediaでソーシャル「ラーニング」を実現する

Wikipediaと教育界の人々との相性は、今のところ正直あまりよくない。学生がコピペレポートを作成する一番のソースであることや、ソースがはっきりしない情報が多いことから、あからさまに「あんないいかげんなもの」と否定的な態度をとる教員も多い。しかし、いい加減な内容の場合もあると割り引いたうえで、中身を検証して利用するという留保をつけるにせよ、私たちの日常は、すっかりWikipediaに頼るようになっている。日常生活の中では、「ちょっとわからなかったこと」を検索するという、意思と能力がある人ならば、Wikipediaにたどりつく人は多いはず。博覧強記で、なんでもすぐに自分の頭の中を検索できるような人でない限りは、そのように「すぐに検索する」という態度は、むしろ推奨されるべきではないかと、正直思う。少なくとも、知らないことを知らないままにして、文脈をすっ飛ばして自分の言いたいことだけいうような態度よりは、よっぽどましだろう。

さてgoocusは、この問題に答えている。アプリを使ってWikipediaを検索し、その履歴を友達と共有するのだ。みんなのちょっとした「探究心」が力を合わせれば、集合知たるWikipediaをソーシャルで共有し、再びブラッシュアップした集合知にする。

何回か試してみたが、アプリ上でWikipediaを検索すると、その履歴は友達と共有されているようだ。また「学んだ」というボタンがついているのだが、これを押したものが共有されるということだろうか。設定の中に「検索履歴をシェア」という項目があり、これにチェックを入れた場合には、「学んだ」を押す前の検索履歴も、友人と共有されるということだろうか?(この辺がまだよくわかっていない)

ふせんで「気付き」を共有

どんな項目を検索して発見したか。これを友人と共有するだけでも面白いはず。大学の授業などで、わからない項目が出てきたら、誰かが調べて、その履歴を共有するという使い方もできるだろう。

しかしさらに面白いのは、調べた結果でてきた項目に「ふせん」という形でコメントをつけられるところ。

Goocus

Wikipediaの内容と先生の話はちょっと違っていて、それを比較検証した結果を共有するなど、単純に検索するだけでなく、コメントをつける形で情報を共有できる。Youtubeでいうところのアノテーションだし、ニコ動のコメントでもあるが、元のWikipediaのデータに手を加えるわけではなく、あくまでこのサービスの中での情報共有だ。

このほかに、「人々」という項目もあり、同じ項目を見たユーザの一覧も表示される。

Goocus

Facebookと連携

共有する「友達」は、ユーザ名で検索することが可能だが、Facebookと連携させると、Facebookの友人はサジェストされるようになっている。

またFacebookと連携することにより、「学んだ」ボタンを押した項目が、Facebookの自分のウォールにも投稿される。

今いる場所に関係する項目を検索

もう一つ面白いのが「現在地で探す」機能。たしかに旅先など、あまり土地勘のない場所で、見かけたものについて検索することはある。それを位置情報を使って自動化しようというわけだ。

デモ動画があった。

新潟市中心部では、こんな項目が出てくる。

Goocus

位置情報にもとづいて、Wikipediaで「今知りたいこと」が的確に出てくるかというと、そうすんなりとはいかない気もするが、それぞれのユーザのコンテキストにあわせて、適切な情報が表示されるというのは、面白いアイデアだ。遠足で行った先の情報を調べるなんていうのも面白いかも(小学生には無理かもしれないが、高校生ならば)。

アプリだけで提供

ともあれ、どんな項目を検索しているのかを共有するのは、なんとなくこわい。Googleでの検索結果それ自体が、いつのまにか共有されていたらと考えると、非常に気味が悪い。この点でgoocusは微妙なバランスの上に乗っかっていて、Wikipediaを検索して共有するためのアプリを利用して、最初から共有することを意図して利用する形式をとっている。したがって、こっそり「ムフフ」な検索をしたい場合には、このアプリをユーザは使わないだろう。非常にスマートな解決方法といえる。

「ふせん」の発展に期待

今後発展が期待されるとすれば、一つはコンテキスト検索。位置情報だけでなく、音、時間、気温その他のコンテキストから、、、どうすればいいのかな。まあ位置情報以外の要素も考慮した情報というのは他にもありそう。だが音声以外は時間がかかるか。もう一つは、「ふせん」。現在はWikipediaの項目ごとにしかふせんをつけられないが、本当は項目の中の特定部分にだけコメントしたいという需要はあるはず。そうなればgoocusでのソーシャルラーニングはさらに進化し、教室の中で他のメンバーの「ふせん」を見ながら学べるようになるはずだ。こちらはスマホで十分な操作性を実現できるかはわからないけれども、おそらく改善課題には入っているのではないか。今後に期待したい。

最近買ってきた「ソーシャルラーニング」の本。こちらは、キャスタリアメンバーの訳書。

Bloggers Meetup 20120322

田中信太朗『tumblrハンドブック』(秀和システム)

先週の「プロブロガー」オフ会で初めてお会いした田中信太朗さんが、Tumblr本を出された。

【お知らせ】「tumblrハンドブック」を出版しました。 – Tanakamp的ヒトコト。

今までtumblrを解説した本は週刊アスキーさんが出したものがありますが、個人名義のものはおそらく日本で初めてだと思います。

たしかにTumblrは、「コンテンツを詰めた麻袋を武器に河川敷で殴り合ってるイメージ」というたとえにある通り、ある種特殊な世界なので、書籍にはまとめずらかったのではないかと思う。その意味では、田中さんがどこまで「健全」なTumblrの世界を描き出しているのか、大変興味があるところ。

著者近影(先週のオフ会での一枚)。

Bloggers Meetup 20120322

リクルート進学ネットに掲載していただきました。

リクルートの受験生向けサイト「リクルート進学ネット」で、一戸個人を紹介するページを作っていただいた。
ノートPCを持ってうろついているという、不自然な姿を切りぬいた(?)画像付き。中身は撮影の際にお話しした内容をベースに、構成していただいた。

敬和学園大学/先生・教授(一戸 信哉准教授)(語学(外国語))/リクルート進学ネット/大学・短期大学・専門学校の進学情報

 

敬和学園大学を紹介するリクルートのページの一部として、毎年一人の教員をピックアップしているものなので、人文学部の傍流の自分が紹介されるのもどうかと思い、以前誘われた時には固辞していたのだが。リクルートの営業担当の方や入試課メンバーの推薦もあって、一度登場してみることにした。

ちょうど情報メディアプログラムがスタートするタイミングでもあり、興味を持ってくれる受験生が増えてくれればと思う。

「日本ツインテール協会」のウェブサイトが話題に

今日IT media「ねとらぼ」の記事で、「日本ツインテール協会」というサイトができていることを知った。

日本ツインテール協会公式サイト

「ツインテールこそ正義」 全身全霊をかける「日本ツインテール協会」の熱い思い (1/2) – ねとらぼ

古谷さんにとってツインテールは萌え心をくすぐる髪型。年頃の女性がお下げ髪にする時の表情やしぐさ、ほどいた時に髪がフワッとなるセクシーな瞬間など、魅力だらけだ。街でツインテールの人を見かけるとつい気になってしまう。

 

だが、実際にツインテールにしているのは「子どもか学生くらいで、大人の女性はあまり見かけない」と古谷さん。子供のころにツインテール姿に憧れて2つ結いにした経験が「女性には誰しもあるはず」なのに、大人になると途端にツインテールにしなくなる。「やれば絶対かわいいのに」。仕事やプライベートで女性に「ツインテールしてよ!」と頼んでみても、恥ずかしがって拒否されることがほとんどだった。

 

世の女性が“ツインテールにしてくれない”現状について、「このままではツインテール女子が絶滅してしまうのではないか」と危機感を抱いた。その原因は、ツインテールは子どもや学生がするものという「誤解」がまん延しているためと考えた。誤解を解いて、「ツインテールの魅力を世に広め、ツインテールを復活させる」ため、協会の設立を決意。まずはサイトの立ち上げを急いだ。

「放課後ツインテール」、「あの街ツインテール」、「サロンドツインテール」などのコーナーがあり、一般女性がモデルになっているもの、人気モデルが登場しているものなどがあるようだ。新潟でも撮影したとあり、「あの街ツインテール」を見てみたら、何人か新潟の女性も登場していた。

あの街ツインテール ≪坂田 亜里紗 新潟県万代≫ 日本ツインテール協会

20110714 Keiwa Lunch

敬和学園大学で新プログラム「情報メディアプログラム」スタート

敬和学園大学で、今春から、いくつかの新科目がスタートすると書いた。

実はもう一つ新しくスタートするものがある。既存の科目のうち「情報メディア」に関連する科目を履修することで、一定の能力があることを証明する「プログラム」として、「情報メディアプログラム」が4月からスタートする。人文学部一学科で、情報やITとは無縁に見えた敬和学園大学だが、このプログラムはその中では、大きな変化だ。新潟で情報やITといえば敬和が一歩進んでいる、あるいは特色がある、そういう認識を持ってもらえるよう、プログラムの充実を図っていきたい。このプログラムのスタートは、敬和の情報メディア教育全体を変革する「狼煙」のつもりだ。

20110714 Keiwa Lunch

Keiwa Girls

敬和には、従来から「日本語教育プログラム」などの独自認定の制度があったのだが、今回のプログラムはこれに追加する形。所定の科目のうち、32単位を修得することで認定される。現行カリキュラムのままのスタートなので、現在の在学生も認定を受けることができる。ただ現時点では、一戸の演習の単位を含めないと、32単位を積み上げるのは難しいかもしれない。まあ演習の参加者数は少ないので、他ゼミに参加している方でも(国際文化学科以外の学生でも)、時間割の調整がつくなら、どうぞご参加ください(お客さん扱いはしません)。

このプログラムの構想は、1年前からあった。1年前に学内調整用の資料として作ったスライドは以下の通り。提案段階での文書なので、詳細部分まで承認を受けたわけではない。個人的に作成した文書だと理解してほしい。

「副専攻」として情報メディアを学ぶ

敬和学園大学は、「リベラルアーツ大学」を標榜しているが、情報教育は従来「外付け」のポジションで、共通基礎科目の一角に、選択必修科目として置かれてきた。学生の情報リテラシーの向上や一般科目での情報機器、ネットワーク利用が広がる今日、この位置づけは徐々に変化していくべきだという考えも、このプログラムを設置を推進した背景にある。

学生たちにとって、このプログラムの修了証が、何か明るい未来を保証する手形になるかというと、そうではない。どちらかというと、「副専攻」のような位置づけで、情報メディア関連の科目をとらえて、高い意識を持って勉強をするきっかけにしてほしいと考えている。こうした意識と学び、さらにはこれに裏付けられた自信は、学生たちがITやメディアの領域への就職を目指す際の、後押しにはなるだろう。実はいまだに、自分を「アナログ人間」と位置付け、必修科目の単位が取れると、ネットあるいはPCから離れようとする学生がいる。しかもそういっている学生たちは、必ずしも「アナログ」ではない。こうした学生たちの向学心に対して、少しでも刺激になる枠組になればと思う。

どんな科目があるのか

今年度の段階では、新規開講はほとんどないのだが、現在開講されている科目をまとめただけでも、それなりに充実した科目が並んでいる。

情報処理論1、情報メディア論、情報法が一戸の担当。情報法はビジネス著作権検定に対応して今年実施し、初級については18人受験して14人が合格した。

情報処理論1情報メディア論1は、選択必修の初年次科目だが、ソーシャルメディアの利用を全面的に取り入れ、Twitter、Facebook、ブログを活用して展開している。情報メディア論については、既存メディアを含めたメディア環境の変容について、学生とともに調べて学ぶという授業になっている。これらの科目を通じて、ソーシャルウェブの最新事情について実践的に学び、そのメディア論的な意義について、考えを深めることができる。毎年アップデートし、新しいサービス動向について知り、考えることができる科目は、新潟では他にない(というつもりでやっている)。

情報処理論2は、新潟通信サービスの本間誠治先生が担当。ネットワークの基本について学ぶことができる。

メディア英語は、山崎由紀先生と学ぶ英語ニュースの読み方講座といったところ。単に英語を勉強するというよりは、それぞれのニュースの背景まで掘り下げて学ぶことが求められるだろう。履修条件がついているので、英語レベルの低い学生は受講できないようだが、むしろこれぐらいの英語や国際ニュースを理解できる程度の社会常識は備えてほしいと、情報メディアプログラムの側からもお願いしたいところだ。

視覚芸術論は、写真を用いたアート・プレゼンテーションを実践する。担当は吉原悠博先生。新発田市内の写真館、吉原写真館の館主であるとともに、アーティストとしても幅広く活躍されている。

メディア・コミュニケーション論は、新聞社OBの本間正一郎先生が担当。ニュースをめぐるお話が多いが、既存メディアとネットの融合やその課題といった視点でもお話をされているので、学生たちにも人気がある(というのが、学生たちのTweetからうかがわれる)。
現代メディア論は、高谷先生による映像制作の科目。情報管理基礎論は、清水先生によるウェブサイト制作の科目。ということはそれぞれ昨日のエントリーで紹介したところ。

これらに一戸が担当する演習(ゼミ)と、マイクロソフト オフィス スペシャリスト(MOS)関連の科目を加えたものが、4月からスタートするプログラムの全体像。

今後の拡充構想

さらに今後拡充したいもの。お金に糸目をつけずにやるならば、東京や新潟の魅力的な人たちに来てもらい、いろいろ指導してもらいたいのだが、当面は地元を中心に、選択と集中でプログラムの充実を図っていきたい。

一つは資格関係。決して資格至上主義ではないが、MOSと著作権検定だけではちょっとさみしい。文系の学生でも手が届きそうな資格に対応する講座を、来年度から開講できるよう研究と調整を進めている。もう一つは、「発信力」の強化。映像表現とウェブ制作については、今年から科目や担当者を補強した。写真についても吉原先生の講座がある。あとはウェブで検索し、さらに現地で調査して、ブログにまとめるといった、いわば「デジタルジャーナリズム」の領域がほしい。当面一戸自身も、演習などで取組を強めていくつもりだが、できれば経験豊富な方に指導していただく科目を作りたい。イメージとしては、伊藤穣一さんが慶應でやっていた科目だが、これは大学院の科目なので、もう少しレベルを下げるカスタマイズが必要だろう。あと、インフォグラフィクスのような、ビジュアル化に関連した科目も、教えて下さる方がいれば、ぜひ始めたい。プレゼン資料の作成を含めて、恐らくこれからの学生にはとても大事な能力になるだろう。

このほか、インターンシップやスタディツアーなど、対外的な活動の位置づけ。これはこのプログラムに限らず、現地で経験するプログラムの学部教育への導入は、どこでも課題なのだが、本プログラムでも充実をはかっていきたい項目だ。

さて、プログラムの全体像をざっと説明してきた。もちろん欲を言えばきりがないのだが、少なくとも新潟の私立大学のプログラム、しかも「副専攻」のようなプログラムで、これだけ充実した情報メディア関連のプログラムは、他にはないはずだ。しかも、ソーシャルメディアを軸とする新しいウェブの潮流に掉さした科目を充実させているという点にも、ぜひ注目してほしい。構想どおり今後、統合・調整されたプログラムとして進めることができれば、新潟のITやメディアに関連する領域で、敬和生が幅広く活躍できるようになるだろうし、そうなるよう努力していきたい。

情報メディアとリベラルアーツ

ところで、これらの科目群とリベラルアーツとはどういう関係にあるのだろうか。大量の情報がネットワークで行きかい、人々がつながっていく時代にあって、これとは関係なく、教養教育が成り立つわけはない。ネットワーク以前の環境を生きてきた大人たちはともかく、これからの時代を生きる若者たちにとって、ネットワーク社会に対峙できるだけのITリテラシーは、必ず備えるべき教養といってよいだろう。しかもそれらは、「本の読み方」というような、ある程度固定化したスキルではなく、常に変化する環境の中にある。こうした流動的な環境下にあって、情報流通の仕組みを理解し、そこを行きかう情報を読み解き、自らもさまざまな形式で適切に発信し、他者とつながって活動するということは、まさしく現代のリベラルアーツに求められている、最重要課題だと思う。

とここまで書いてみて思い出したのが、前任校稚内北星の設置に関連して、丸山不二夫先生がよく書いていたフレーズ。当時の文書にはよく、「情報メディア教育は現代のリベラルアーツだ」という趣旨の発言が出てきた。検索したら出てきた。

稚内北星の情報教育が目指してきたこと

今ざっとメディアの歴史を駆け足で追って、電信からはじまって、我が国の25年前の 「超大型コンピューター」までざっとみてきました。僕の大学の情報教育の新しい展望を 語る前に、僕らが、これまでどういう関心をもって情報教育を行ってきたかを話させてください。 僕らは、地方の一短大ですが、「最北端は最先端」をキャッチ・コピーに、先進的な情報教育を 展開をおこない、全国的にも評価を受けるようになりました。 最近は、主に2つの関心がありました。第一は、「現代のリベラル・アーツ」として ネットワーク・リテラシーをきちんと学生に教えたいというものです。第二は、高帯域の ネットワーク・マルチメディア環境をつくるということです。

 

「現代のリベラルアート」を重視

最初の、「現代のリベラルアート」ということでは、次のようなことを考えていました。 まず、ネットワークへの自由なアクセスを、技術と環境の両面で学生に保障するということ です。また、メディアの情報を利用するスキルと、内容的には、それを批判的に受容する スタイルを確立すること。同時に、ネットワーク上で情報発信するスキルを育てること。これは、 煎じ詰めれば単なる技術の問題ではなく、表現すべき自己を確立することが重要だということに 行きつきます。そうして、感性の問題もあります。多様な情報を感性的に統合する技術とスキル を重視すること。僕は、「スキル」という言葉をよく使います。情報教育におけるスキルの 重要さを示す一番いい例が、タイピングのスキルだと思います。僕は、タイピングは、 コンピュータを使いこなす上で、非常に大事だと考えているのですが、そうした理解は、 情報教育の世界では、実践的には、必ずしも十分ではありません。たとえば、いつからタイピング を教えるべきかという問題が、あまり議論されているようには見えません。個人的には、 小学生の高学年から、タイピングの練習は可能だと考えています。

また検索の過程で、長崎県立大学の河又貴洋先生の論文「現代教養学としての「情報メディア学」-高等教育におけるリベラルアーツとしての情報メディア教育に向けて-」が出てきた。これまた大変興味深い。

自分自身は、与えられた現場で、担当した科目についてベストを尽くすという仕事しかしてこなかったので、リベラルアーツの中での情報教育の位置づけについては、それほど深く考えてこなかった。ただ時代が変われば変わるほど、「情報メディア」はリベラルアーツの中核に位置してくるような予感はある。それはもちろん、ツールとしての情報機器の操作自体は、大学教育の中では重視されなくなり、本来的な意味での「リテラシー」教育が、主軸となってくるのかもしれないとは思う。しかし、ハード・ソフトともに日進月歩で動く今日においては、「操作」についての習熟度も人それぞれという面があり、これらを含めた形で、「リテラシー」教育が必要になってくるのかもしれない。

しばらくは試行錯誤というか、方向性を考えながら、「情報メディアプログラム」を構築していくことになる。ともあれ、この領域に関心を持ち、ともに学びを深めるとともに、将来ITやメディア領域で活躍することを目指す学生たちが、一人でも多く集ってくれることを願っている。

.@deez_dai さんのゲスト講義

敬和生の皆さんへ新規開講科目紹介2:Webサイトの構築手法をきっちり学ぶ「情報管理基礎論」

敬和生の皆さんへ新規開講科目の紹介その2。

これまで一戸が担当してきた科目「情報管理基礎論」の担当者が交代し、清水大輔 ( @deex_dai )先生となる。今年度の「国際社会入門」でも、1コマお話をしていただいたので、国際文化学科の新2年生は、1月に一度講義を聞いている。Twitterアカウントは、@deez_dai

.@deez_dai さんのゲスト講義

清水先生はプロのWebデザイナーとして、新潟を拠点に長らく活動するとともに、学校や職業訓練校などで、初心者向けにウェブサイト構築の講座を担当してきた。「ホームページを作れるようになりたい」という、漠然とした相談を学生から受けることがよくあるのだが、そういった希望を持っている学生の指導に関して、もっとも適切な方にお願いできたと思っている。

シラバスを見ると、前期は、「XHTML/HTML+CSSの基礎を学習しWebサイトの構築」とあり、テキストエディタできっちり学ぶスタイルになる。後期はWordpressをカスタマイズしてデザインするもの。基礎からきっちり学び、CMSを扱える学生が増えるというのは、学生個人の自律的な情報発信を促進すべき大学としても、とてもうれしいこと。多くの受講者が出ることを期待したい。

日ごろの活動として、清水先生は、CSS nite in Niigataを主宰している。CSS niteは、「Web制作全般に関するトピックを取り上げるセミナーイベント」として、日本全国で開催されているが、新潟開催分「CSS nite in Niigata」の中心にいるのが、清水先生ということになる。次回はマイクロソフトと共催で、4月21日開催という告知が出ている。ちなみに、前回開催時には、一戸もLTでちょっとだけお話させてもらった。すばらしい方々とお話ができて、楽しいイベントであった。

CSS Nite in NIIGATA 新潟県のWebサイト制作・ウェブ担当者向けセミナー

CSS Nite in NIIGATA, Vol.3 with Microsoft | CSS Nite in NIIGATA 新潟県のWebサイト制作・ウェブ担当者向けセミナー

というわけで、新潟を代表するWebデザイナーの一人である清水先生だが、決して気難しいアーティスト然とした人というわけではなく、非常に気さくな先生だ。TwitterやFacebookなど、ソーシャルメディアは当然のごとく使いこなしているので、人となりはそこから垣間見ることができるだろう。気さくで実力のある新潟のWebデザイナーと親しくお話ができる、というだけで、この科目を履修する価値は十分あると思う。

ちなみに昨秋の敬和祭において、ダンスステージの写真を一戸と一緒に撮ってくださったのも清水先生。私のFlickrにアップされている、より近寄った写真はおおむね、清水先生撮影のものだ。

【追記】
もう一つの新規開講科目として、「現代メディア論」についての記事も書いてある。

敬和生の皆さんへ新規開講科目紹介1:映像作品を作ろう「現代メディア論」 | ICHINOHE Blog

敬和生の皆さんへ新規開講科目紹介1:映像作品を作ろう「現代メディア論」

新学期が近付いてきて、そろそろ新年度の科目選択を始めている学生たちがいると思うので、今年から新規に開講する情報・メディア関連の科目をいくつか紹介しようと思う。学生の多くは保守的な科目選択、すなわち、過去の履修者からの評判のいい科目を選択する傾向にある。したがって、新規開講科目の場合、先生の評判もよくわからないので、ハンデを負うことになる。そういったことも考慮して、新しい科目の内容について自分が知っていることと、私がお願いして担当いただくことにした講師の先生のプロフィールについても、紹介したいと思う。

まず一つ目。現代メディア論。この科目はしばらく開講されていなかった科目だが、念願の「映像制作」の科目として、復活させることができた。担当は名古屋短大の高谷邦彦先生。何も経験のない学生に、スマホやPCを組み合わせて映像を編集し、作品に仕上げるまで、丁寧に指導してくれる先生だ。

高谷先生は、名古屋短大の前任校が稚内北星学園大学、つまり一戸の元同僚なのだが、同時に北海道宗谷地区で映像制作を行うNPO法人ムーブユーの理事長でもある。

ムーブログ 〜 NPO法人映像コミュニティ・ムーブユー

M00VU – YouTube

このムーブユーは、授業をきっかけにスタートしたNPO法人だが、映像を中心にした地域情報の発信を支援する活動を続けており、取材して制作された映像作品の中には、全国の市民映像祭で受賞した作品も多数ある。そのうちの一つが、先日紹介した稚内駅の立ち食いそばやを取材したもの。

【稚内】待合室の、片隅で。:市民がつくるTVF(東京ビデオフェスティバル)2012「筑紫哲也賞」 | ICHINOHE Blog

名古屋でも、短大の学生に映像制作を指導しており、いくつか作品が公開されている。

このほか、高谷先生が稚内時代に作った映像作品も、いくつかあるようだ。

freebee66 – YouTube

新発田や新潟を取材した映像作品、新発田や新潟を舞台にした映像作品は、まだまだたくさん作ることができると思う。この科目は夏休みと冬休みの集中講義科目。撮影するための素材が屋外にたくさんありそうだ。夏季冬季の集中講義は、教室での講義が何時間も続き、学生も先生も疲弊するものが多い。しかしこの科目については実習を行う時間も多く、楽しく作業して、映像作品の企画、撮影、編集の一連の技術を身につけることができるはず。敬和からも多くの映像作家が生まれてほしい。

なお新潟大学人文学部でも、同様の映像制作の授業が行われており、担当の先生も知り合いなので、敬和から良い作品が次々に生まれるようならば、ぜひ一緒に上映会をやりたいと、個人的には考えている。

【追記】
もう一つの新規開講科目として、「情報管理基礎論」についての記事も書いた。

敬和生の皆さんへ新規開講科目紹介2:Webサイトの構築手法をきっちり学ぶ「情報管理基礎論」 | ICHINOHE Blog

米国の食の実態を描いたノンフィクション映画「フード・インク」

WOWOWの「食メンタリー」という特集で放映されていた映画。2008年米国作品。

映画『フード・インク』公式サイト

アメリカの食がいかに「工業化」され、大量生産されているか。それがいかに動物、人間、環境にやさしくないか。さらにこの「アメリカの食」は、大企業やそれらと深く結びついた政府によっておし進められているか。さまざまなエピソードから見えるものを、おおざっぱにまとめるとこうなるだろうか。食の現場を取材しているので、やや刺激的な映像もあるにはあるが、取材拒否も受けており、必ずしも映像のどぎつさでアピールしようという映画ではない。

スーパーで、ついつい安い輸入食品に手を出してしまう自分も、この映画を見ると、よく考えて食材を選ぼうという気持ちにさせられる。また、農産物の輸入を自由化した先に何があるのかについても、大いに考えさせられる作品であった。

映画の後、「解説」部分のトーク映像で、小山薫堂さんが、「この映画を見て、日本の食の豊かさ、食のリテラシーの高さをあらためて実感した」と語っていた。全く同じことを思った。日本の食というのは、見た目の美しさだけに目を奪われがちだが、大量生産に頼りすぎない作り手の姿勢や、一般の人々の意識の高さに支えられているのではないかと、あらためて感じた。

検索してみたら、名指しで批判されている会社の一つ、モンサント社は、日本法人が日本語で見解を発表している。

映画「フード・インク(Food,inc)」に関する見解 | モンサント・カンパニーの見解 | 資料室 | 日本モンサント株式会社

映画評論家前田有一氏の批評記事。

超映画批評『フード・インク』65点(100点満点中)

大学の自由とは「考える自由」:立教大学総長の言葉

「リベラルアーツ大学」である敬和学園大学で仕事をはじめて、5年が過ぎた。いつのまにか入試広報の仕事を任されて数年がたつ。地方の「実学志向」の中で、「リベラルアーツ」の学校が学生やその父兄にアピールするのは大変なこと。自分自身は「実学志向」に近いところにいる人間なので、仕事の中で「リベラルアーツ」をアピールする作業(さらにそれによって成果を出す作業)は、正直かなり骨が折れる。「リベラルアーツ」という言葉は、わかっているつもりでも、説得力のある説明が、なかなかできないのだ。

以下は3月24日に行われた、立教大学大学院の学位授与式における、吉岡知哉総長の言葉。「考える」技法を習得するための訓練体系である「リベラルアーツ」を、立教大学はなぜ重視しているのか。非常に説得力ある説明をされている。

卒業生の皆さんへ(2011年度大学院学位授与式) | 立教大学

では、大学の存在根拠とはなにか。
一言で言えばそれは、「考えること」ではないかと思います。
大学とは考えるところである。もう少し丁寧に言うと、人間社会が大学の存在を認めてきたのは、大学が物事を徹底的に考えるところであるからだと思うのです。だからこそ、大学での学びについて、単なる知識の獲得ではなく、考え方、思考法を身につけることが大切だ、と言われ続けてきたのでしょう。

現実の社会は、歴史や伝統、あるいはそのときどきの必要や利益によって組み立てられています。日常を生きていく時に、日常世界の諸要素や社会の構造について、各自が深く考えることはありません。考えなくても十分生きていくことができるからです。あるいは、日常性というものをその根拠にまで立ち戻って考えてしまうと、日常が日常ではなくなってしまうからだ、と言ったほうがよいかもしれません。
しかし、マックス・ウェーバーが指摘したように、社会的な諸制度は次第に硬直化し自己目的化していきます。人間社会が健全に機能し存続するためには、既存の価値や疑われることのない諸前提を根本から考え直し、社会を再度価値づけし直す機会を持つ必要があります。

大学は、そのために人間社会が自らの中に埋め込んだ、自らとは異質な制度だと言うことができるのではないでしょうか。大学はあらゆる前提を疑い、知力の及ぶ限り考える、ということにおいて、人間社会からその存在を認知されてきたのです。
既存の価値や思考方法自体を疑い、それを変え、時には壊していくことが「考える」ということであるならば、考えるためには既存の価値や思考方法に拘束されていてはならない。つまり、大学が自由であり得たのは、「考える」という営みのためには自由がなければならないことをだれもが認めていたからに他ならない。大学の自由とは「考える自由」のことなのです。
言葉を換えると、大学¥は社会から「考える」という人間の営みを「信託」されているということになると思います。

「スキル」や「技術」に特化した「実学志向」は、大学に「考える」という社会的役割が、もはや期待されなくなってしまったことの表れではないか。この点を、以下の通り強く危惧しているように思う。

しかしさらに考えてみると、大学への不信はもっと以前から存在していたのではないかと思われます。ある時期から、もはや大学には「考える」という役割が期待されなくなったのではないか。
社会が大学に求めるものが、「考える」ことよりもすぐに役立つスキルや技術に特化してきたことはそれを示しているのではないでしょうか。大学について語る場合の語彙も、「人材」、「質保証」、「PDCAサイクル」など、もっぱら社会工学的な概念に変わってきています。
近年、大学の危機が論じられることが多くなりましたが、その際問題になるのは、「グローバル化」と「ユニバーサル化」です。しかし、人間社会が大学に、考える場所であることを期待しなくなっているのであれば、そのことのほうがずっと深刻な危機ではないでしょうか。

このお話は、大学院生を前に話されている。学部生の卒業式では、少し違う内容でお話しされたようだ。

社会が揺らぐ中にあって、それぞれの大学が自ら存続しつつも、あるいは存続するために、特徴を出そうと躍起になっている。その中で「考える自由」、あるいは大学の自由をどのようにとらえるか。さらにはその自由をどのように学生に享受させ、一人一人の未来につなげていくのか。吉岡総長の言葉が、この時代の波をせき止めるパワーを持つのか、それは正直未知数だが、少なくとも「反時代的・反社会的な」発言としては、非常に大きな力を持っているように感じた。