獏不次男・阿部次男先生の訃報

Alumni Reunion, Class of 1989, Hirosaki Highschool

弘前ペンクラブ前会長の獏不次男さんの訃報が、東奥日報に掲載された。弘前高校では、英語の先生で、僕らの学年の学年主任。のちに弘前高校の校長もつとめられた。
作家の獏不次男さん死去/Web東奥・ニュース20111220085332

時代小説「津軽隠密秘帖」や、本紙連載「津軽太平記」で知られる弘前ペンクラブ前会長の獏不次男(ばく・ふじお、本名阿部次男=あべ・つぐお)さんが19日午後3時32分、病気のため弘前市の病院で死去した。77歳。弘前市出身。自宅は弘前市禰宜町1の6。通夜、葬儀の日程は未定。喪主は長男直樹(なおき)氏。

弘前大学文理学部を卒業。弘前高教頭、三本木高校長、弘前高校長などを務めた。現在は弘前ペンクラブ顧問。


代表作は 「津軽隠密秘帖」や「津軽太平記」。「津軽太平記」は、2001年に東奥日報で連載された。
僕らにとっては本名の阿部先生、あるいは、「ジナン」として知られた学年主任の先生であったが、一方で、作家の獏不次男として活躍されていることは、当時の生徒たちにもよく知られていた。弘前高校出身の作家といえば、長部日出雄さん、鎌田慧さん、三浦雅士さんなどがいるのだが、「獏不次男」もその中にリストアップされていたわけだ。当時はあまり深く考えてはいなかったのだが、よく考えれば、地元を代表する作家が学年主任というのは稀なことであったのかもしれない。その後作家としてさらに活躍されていった様を見ると、そっと自分たちを励まし、道を示してくれていたような気もする。当時の僕は、当時の阿部先生が、どのように作家として活躍しているのかわからなかった。
弘前高校の中では、阿部クラスはいつも活発で、楽しそうだった。弘前高校は自由な校風をうたってはいるものの、難関大学に多数合格させようと成績アップへのプレッシャーは強かった。対外的なプレッシャーもある中で、自由な校風を維持するのは大変だっただろうと、大人になってからは思うのだが、その中でも特に、阿部先生は人心掌握術に長けていて、それがクラスの雰囲気に反映されていたのではないかと思う。
卒業後、長らくお会いしていなかったが、たまたま今年の1月に、同期会でお会いすることができた。昨年病気をされて、奇跡的に回復されたというお話をされていたのだが、そのようなことを感じさせない、よどみのないお話しぶりであった。
Alumni Reunion, Class of 1989, Hirosaki Highschool

結局この時が最後になってしまったが、このときの宴席で少しお話できたのは良かったとも思う。
どうぞ安らかに。


追記:陸奥新報からも記事が出ているほか、弘前高校同期のnonvey(彼は1年時阿部クラス)がブログに追悼記事を書いている。
弘前ペンクラブ前会長 獏不次男さん死去 by 陸奥新報
::nonvlog from nonvey::阿部先生、本当にありがとうございました。

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