北海道フォトウォーク in 夕張を3人で開催:夕張清水沢アートプロジェクト最終日

Hokkaido Photowalk Yubari 20111016

10/15の情報ネットワーク法学会の翌日、@arry_h @mountbook とともに、夕張へ。
これはもともと、帰りの飛行機の時間まで、道内のどこかで写真を撮ろうと、@arry_h と話していたもの。一応北海道フォトウォークという名前でFacebookで募集をかけてはいたものの、あまりまじめに誰かを誘ったりはしていなかったし、そもそも行き先も決めていなかった。行き先は金曜の夜に飲みながら夕張に決まった。もう一人の @mountbook は、学会の後で参加することに決まった。
というわけで、特に行き先も決めておらず、なんとなくさびれた風景を撮るつもりで出かけた夕張でのフォトウォークだったのだが、実はすばらしいイベントが行われていた。それも最終日。
夕張清水沢アートプロジェクト

日本経済の発展をエネルギー面から支えてきた北海道の炭鉱。なかでも夕張の石炭は、最高級の原料用炭として重宝された。30年前まで炭鉱が操業していた清水沢地区には、今でもズリ山や炭住が残り、そこに住む人々の間には炭鉱コミュニティが息づく。
100年にわたる炭鉱の歴史、その後の脱炭鉱の歩み、2006年の財政破綻など、光と陰の両極を経験した夕張。かつての記憶が薄れゆく中、空知各地の炭鉱電力の中枢であった「旧北炭清水沢火力発電所」から、アートの力で炭鉱の記憶を掘り起こすメッセージを発信する。


時間が止まった場所と取り壊されてなくなった場所が混在する、火力発電所跡地に、数々のアート作品が展示されていた。作品制作や運営には、札幌市立大学の学生が参加していて、僕ら三人にも4年生の学生がガイドをしてくれた。本来作品説明のためのガイドだったはずが、僕らのような廃墟撮影に来る人が多かったからか、残った建物の中で行われていたことや設備の使われ方、壊されてなくなった部分に何があったかなど、非常に細かいところまで詳しく解説してくれた。僕らは主に発電所の建物のあれこれを撮りまくった。

ちょうど最終日だったので、ガイドをしてくれた彼女にとっても最後のガイドになるかもしれないという状況で、「この発電所についての豊富な知識は、これからどのように生かせるか?」なんていう話をした。直接には役に立たないかもしれないが、夕張の炭鉱、発電所の歴史をあれだけ詳しく、堂々と説明できるようになる中で、着実に彼女は成長したはず。これからもがんばってほしい。
選炭後の不純物や商品にならない石炭を捨てた山のことをズリ山というが、そのズリ山にも作品が置かれていた。発電所をまわったあと、そのズリ山にも登った。かつてはほとんど草木が生えていなかったらしいが、発電所が閉鎖されて20年近くがたち、草木も生えるようになったという。肝心の作品は最終日に強風で壊れてしまっていたが、山の上からは、炭鉱住宅が並ぶ光景や夕張川を眺めることができた。
Hokkaido Photowalk Yubari 20111016

受付で住所を書いた際に、「新潟からですか。水島先生のプロジェクトで?」と聞かれた。よくよく聞いてみると、東海大学の水島久光先生が主宰するプロジェクトが夕張で活動していて、新潟大学のメンバーも参加しているとか。あー、メルプラッツ関係者の皆さんかな、と。帰ってきてから調べてみたら、北炭夕張新鉱事故30周年で、シンポジウムが行われていたという。あらかじめ知っていたら行ったんだけど。
北炭夕張新鉱事故:歴史振り返るシンポ 番組上映など、変わりゆく炭都思い /北海道 – 毎日jp(毎日新聞)
結局このシンポのことは知らないまま新潟に帰ってきた。帰ってきてから思えば、シンポもさりながら、北炭夕張新鉱の入り口には、行ってみればよかった。
北炭夕張新鉱と清陵町の炭鉱住宅街
北炭夕張新炭鉱ガス突出事故 – Wikipedia
asahi.com:(5)北炭夕張新鉱事故―81年10月-マイタウン北海道
今回突発的に企画した「北海道フォトウォーク」だが、各地でフォトウォークを開催するというのは面白そうだ。全国のPhotowalkをつなぎ、年に1回ぐらい「全国Photowalkサミット」をやるというのはどうか。各地でノウハウを共有するのもよいし、どこか場所を決めて一緒に撮るのもよい。あるいは、各地で同時に開催するというのも面白い。問題は一緒にやってくれる人を探せるかどうか、なのだが。

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