W杯最終予選カタール戦で、朝日新聞公式Twitter(@asahi)が話題独占


今日のサッカーワールドカップ予選カタール戦は、すでに日本の予選突破も決まっており、そんなに注目度は高くなかったのだと思うが、Twitterでは、朝日新聞の公式アカウント(@asahi)が登場し、大いに話題を振りまいた。

ネタフルやエアロプレインにすでにとりあげられている。またAsiajinもすでに英文の記事を出した。

どうもInternet Watchの記事によると、どうもデジタルメディア本部の記者だとのこと。「マッキー」と名乗っている。

今日の試合中は、試合展開を実況したというよりは、感想を交えた素人的につぶやいていて、しきりに松井の登場に期待したり、客観的な中継というよりは、きわめて主観的なTwitterでのつぶやきであった。「マッキー」という名前や、語り口調が、女性的なこともあって、その素人っぽいキャラクターが注目され、Twitter上は試合そっちのけで@asahiに話しかけるという展開になった。一部では、「@asahiたん」といった呼び名も用いられていた。

さて、企業がTwitterアカウントを作って、ユーザと継続的に対話する、というような文脈では、「フィードを流すだけならやめたほうがいい」ということが言われる。僕はその意見に必ずしも賛成しないが、Twitterはブログに比べても、話し言葉での「ゆるい」コミュニケーションが可能で、それがユーザとの距離を縮めているというのたしかだ。このやり方で日本で短期間で成功を収めたのが、@poken_japanだし、@Yahoo_shoppingもなかなか面白い。いずれも、フィードを流すのではなく、「なかのひと」がつぶやいていて、ユーザとのコミュニケーションが成り立っている。

今回の中継が若手社員の「暴走」ではなくて、朝日新聞がこれらの成功例にならって、Twitterという場所での振る舞いを考えて動き出した結果だとすれば、その点は高く評価すべきだと思う。Twitterでのふるまい方については、普通の企業ですら、まだ迷っている状態なのであるから、その中で新聞社が一歩を踏み出したというのは、英断だ。

秋葉原連続殺傷事件でのUst中継を、マスコミが批判したときのポイントは、チェックが入らないものを流すことの無責任さだった。今回の@asahiへの批判は、この点にも向けられているように思う。たしかに「マッキー」の発言は明らかに、デスクでチェックされた発言ではないだろう(形式的にも内容的にも)。松木安太郎さんのきわめて情緒的な解説に近いものを、僕は今回の中継に感じたのだが、実際にはそれ以上で、妙に松井選手に肩入れしたりして、より個人的な感情も書きこまれている。その意味では、この「加減」に対して、批判的な意見が出るのも理解できる。

しかしもし、テレビで中継されていて、多くの人が視聴している試合を、@asahiがきわめて客観的な140文字によるTwitter中継をしたとしたら、どうだろうか。WBCの時には、いろんな人が文字中継をし、感想を述べるTwitter中継が行われていたが、あれで十分であって、@asahiはあってもなくてもいいのではないだろうか。まして、新聞記事のフィードを流すだけならば、すでにasahi.comのフィードをボットが流しているのであり、公式アカウントがやってもいいけれど、いまさら新味はない。

いま既存メディアに欠けているのは、Twitterのような渦の中で自分たちの居場所を確保して、かつ確固たる存在感を示し、視聴者・読者からのフィードバックを得るというサイクルを確立するという取り組みだ。もちろん、そこに身を投じたところで、ビジネスの芽がすぐに見つかるわけではなく、「襲いかかってくるインターネット」に収益を奪われるという構造を、それだけで変えられるわけではない。しかし、ネットから距離を置いたままでは、視聴者・読者との距離はどんどん離れていき、「必要だし、信頼できるとは思うけど、お金を払うほどでもない」とやがていわれてしまう。その意味で今回の@asahiの挑戦は、新聞がこれから、Twitterのような場所でどのように立ち位置を確立するのか、試行錯誤の一環とみる事例なのだと思う。

Twitter

Facebook

AppBank Store

カテゴリー

2009年6月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  

Instagram

Instagram