naoyai、二度目の逝去者記念日

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今年のゴールデンウィークも、実家のある弘前に戻り、、弟naoyaiの二度目の逝去者記念日(4日)を過ごした。家族が集まったし、弟の同僚だった皆さんも、弘前まで来てくださったので、今年もまた、弟のために弘前に人が集まった形にはなった。でも僕は、一昨年とはもちろん、昨年とも、何かが違うような気がした。

仏教的には「三回忌」なのだそうだが、特に特別なことをは行わず、墓地を訪れた後、夕方教会で、記念日のお祈りをしていただいた。

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去年と何が異なるのか、家族の誰とも感想を語り合うことはなかったが、「時間」というものが、何らかの作用をしているのかもしれない。今でもなお、弟の死が僕にとって衝撃的な出来事であったことに変わりはない。うちの両親や彼の奥さんにとってはその何倍もの衝撃があったわけで、表面的にはその衝撃から立ち直ったという形になっていたとしても、容易に受け入れられないような事態であるはず。弟の死は、今に至ってもなお、僕たち家族にとっての人生最大の不条理だ。なぜああいう結末を迎えなければならなかったのか、納得のいかない気持ちを、今もなお、みな心のどこかに抱えている。

たぶんそのこととは別に、この世の時間は流れているということなのだろう。弟の時間は止まってしまった一方で、僕たち生きているものたちは立ち止まることができず、少しずつ時間を重ねていて、彼のいない状態を前提に、暮らし続けている。そうなっていること自体を認めていいのかどうかは、非常に悩ましく、家族みんなで口に出して承認できるような状態にはないし、たぶんずっと承認しないような気がするけれども、弟の死は、確実に、疑いのない事実として、定着してきている。

2年前の衝撃の体験があって集まっているにも関わらず、2年前のGW前後の出来事を直接語ることも、今回なんとなく憚られた。それはみな、過ぎ去った時間がもたらしたある種の「落ち着き」を、このまま緩やかに受け止めていこうとしているからなのかもしれない。

両親は今まで通り毎週教会に通っていて、教会が痛みを抱えたままの2年間を支えてくれたのだが、教会だってさまざまな人々が集うコミュニティだ。信者の大多数は人並に幸せに暮らしている(少なくともそのように見える)人たちだし、時にそれを口にすることもあるはずで、そうした人並の幸せエピソードが、特異な経緯で息子を亡くした両親の心をえぐることもあるだろう。両親が息子に先立たれた痛みを克服するのは不可能で、生活に「落ち着き」を取り戻すのがせいぜいだと思うが、両親の砂時計の砂がなくなるまで、緩やかに痛みを中和してあげられたらいいなという気持ちになった。

5月4日の弘前は快晴。桜の満開期はすでに過ぎ、リンゴの花はまだ咲きはじめだったが、墓地からの岩木山はくっきりと姿を現していた。

Mt. Iwaki
 

5 件のコメント

  • 弘前の桜は終わり、これから林檎ですね。
    ワシは遅めの帰省なので、ちょうど林檎の花が見頃かな?
    アップルロードをドライブするのが楽しみです。
      R.I.P

  • おひさしぶりです
    今回は私は少し早めに自宅で想っておりました。 
    お写真のお陰で、皆様と一緒にお祈りできた気持ちになりました。有難うございます。
    丁度、他にも今年のこの時期につらい別れが重なり、改めてつらい別れにも縁のような運命的なつながりを感じています。
    その際の日記は、コメントしづらい内容でしたが、沢山のn君のc大関係者も読んで頂いたようなので皆、静かに想っていたものと思います。
    また来西される機会がありましたら、ご一報くださいませ!

  • Gunnieさん:
    リンゴ、今週あたりが見ごろですかね?
    Chocoさん:
    思っていてくれてありがとう。そういうお気持ちの中にだけ、弟が存在できるのだということを、あらためて感じます。西の方で今年またお会いできるといいですね。

  • こんにちわ。
    わたしは、3年半前に親友を不治の病で亡くし、それからしばらくの後、母を亡くし、そして祖母を亡くしました。
    どの人も私にとってはとても大切な存在で、本当に悲しかった。思い出すと今でも自然に涙が出てきます。女優なみにすぐに出せます。(笑)・・・と、冗談はさておき、大切な人を失った悲しみというものはやはり人それぞれの立場によって違いますよね。
    母を亡くした時、恥ずかしながら「私は1番悲しい」といった気持でいっぱいでした。末っ子の長女として育った私は兄弟の誰よりも母と仲が良かった・・・と思う。一緒に海外も行き、20歳を過ぎてもよく一緒にお風呂に入ったり。
    泣きやまない私に、長兄は「たくさん泣いてもいいよ。だけど、悲しいのはお前だけじゃないから。姉(母は2人姉妹)を亡くした悲しみをもつ〇〇(おばの名前)、妻を亡くした〇〇(父)、母を亡くしたおれたち、子に先立たれた悲しみをもつおじいちゃんとおばあちゃんもいる。友人を亡くした人の悲しみもある。それは立場が違うから悲しみの大きさは測れないからね」って言われたのを未だに覚えています。
    確かに3年前に比べたら、泣く日々は減りました。時間が解決するとは言いますが、そういうとこなのかな。
    違う気もするし、そうな気もします。
    何を書こうと思ったのか、わからなくなってきちゃいました。申し訳ない。
    では、また。

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