「アキバ事件で考える~目撃ネット情報の使い方と報道・表現の自由」シンポジウム終了


情報ネットワーク法学会デジタルジャーネリズム研究会による、表題のシンポジウムが、昨日開催された。

リンク: 「アキバ事件で考える~目撃ネット情報の使い方と報道・表現の自由」シンポジウム終了しました – ガ島通信.

発言・質疑の自由度を高めるために、取材・研究のために申し出た方以外の動画、写真、録音を禁止するというコードが定められていたので、ディスカッション
の具体的な発言内容を公表することは差し控えますが、まとまりのある話になったので議論の骨子が何らかの形で公開できないか検討することになりました。

というわけで、私もこのイベントに参加したけれども、取材・研究扱いを申し出ていないので、個人的なメモをTwitterにも流さなかったし、ここにも書かない(議論の骨子が公開されるのを待つとしよう)。自分が参加したということはまあ書いてもよかろう。非常に有意義な議論があった。

藤代さんは以下のように自らの発言内容を公開している。これも公開済みの情報と取り扱っていいと理解する。

私からは「誰もが発信できる時代に、ヤマ(事件現場のこと)は誰が登るべきなのか=事件報道を誰がするべきなのか、といった論争は無意味。登れるように
なったんだからどうするべきなのかを議論すべき時期にきている(ブロガーや一般の人たちがデジカメや携帯で事件現場を撮影したことを『問題視』したマスメ
ディアは先にヤマを踏まれた嫉妬)」「一般の人が事件・事故を撮影するマナーについて議論もあるが、マスメディア自身がメディアスクラムに関する日本新聞協会の定めた最低限の順守事項すら守っていないのに説得力がない(秋葉原の献花台を囲んだように)。プロなら倫理観を保ちながら質の高い言論で勝負するべき」といったことを話しました。

この問題に関連して、新聞がこれから考えなければならないことと、ネットユーザが考えなければならないことは、それぞれ別なんだけれども、論点は類似あるいは少なくとも関連しているように感じた。したがって、このような公開シンポなどで情報の共有ができれば、いい補完関係ができるのではなかろうか。というのが、内容に触れることなく述べられる個人的な感想。しかしもし仮にマスメディア側に「嫉妬」があって、それがゆえにネットユーザに批判的であったり、逆に無視したりしているのであれば、有意義な議論は難しいのかもしれない。昨日は研究会の性格上新聞関係者の発言が多く、ネットユーザの発言が少なかったように感じた。

「日本新聞協会の定めた最低限の順守事項」というのは、集団的過熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解のことだったと思う。たしかに、これが守られているとはとても思えない。

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