「プロ」のコンテンツ


岸博幸先生の以下の記事が、ずいぶん話題になっているようだ。

リンク: 著作権法改正巡る2つの対立・「思いやり」欠如が招く相互不信 インターネット-最新ニュース:IT-PLUS.

デジタルとネットの普及でクリエーターは所得機会の損失という深刻な被害を受けている。MIAUは「一億総クリエーター」という政府の標語を引いているが、プロとアマチュアのコンテンツは分けて考えるべきである。放送局やレコード会社などを含むプロのクリエーターは、作品から収入を得ているのであり、その収入が激減するのを放置したらどうなるだろうか。ネット上でのプロのコンテンツの流通が増えるどころか、プロの道を志す人が減り、日本の文化の水準が下がる危険性もあるのではないか。

 

 だからこそ、デジタルやネットの関係者には当たり前のことを今一度認識してほしい。デジタルは手段でしかないし、ネットは流通経路でしかない。それらを通じてユーザーの元に届く魅力あるコンテンツの量が増えてこそ、そういった手段も栄えるのである。

岸先生のMIAUに対する批判については、「草の根から『プロ』のコンテンツは生まれない」という認識が、底流にあるように感じた。ここでの「草の根」には、クリエーターが(現時点では)無名であるという意味と、流通経路がメジャーではないという意味、両方がある。

UGCからまともなものなんて出てくるわけがない、という発想に立つならば、「まともなもの」である「『プロ』のコンテンツ」を守るべきであり、彼らが新しいビジネスモデルに対応するまでのモラトリアムを設ける必要がある。この点で、岸先生の意見は一貫しているように思える。

逆に梅田望夫氏のいう、「玉石混交」から「玉」を拾い出す技術に期待感を持ち、そこで選りすぐられた「玉」=「プロ」なのだという発想に立つならば、玉石混交の世界、つまり自生的な情報共有ネットワークから、いわゆる「メジャー」コンテンツをはずしてしまうのは、かえって健全な発展を阻害するということになる。たとえそこから勝手に二次著作物が生まれたり、デッドコピーが出回ったりという、副作用があったとしても、自生的で、国境等の障壁を容易に乗り越えていく、ネット流通のパワーに乗っかっていかない限り、マイナー言語である日本語コンテンツの未来は暗いものとなるのだろう。

ただ、「玉」を拾い出す技術が信頼に足るものであるかどうかは、議論の余地がある。先週末に行われた「ブログ限界論」に関するRTCカンファレンスの議論を見ると、スプログの登場などによってブログへの信頼は低下してきていて、これはつまり、「石」を偽装して「玉」に見せる技術により、「玉」の品質に関する信頼性が揺らいでいるということだ。

と、ここまで書いたところで、授業の時間になって中断していたら、
リンク: 池田信夫 blog ネットはクリエイターの敵か.
が出た。池田先生は、CGMとかUGCではなく、「ファイル共有」を例に挙げていて、「ファイル共有」による宣伝効果にもっと注目すべきだという。

「玉」を拾い出す技術という意味では、レコメンデーションの仕組みがもう少し洗練されてくれば、「宣伝効果」をもう少し実感できるようになるだろうか。

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