魂の出入り

Everybody's Changing, Hirosaki Neputa

妹が初盆と精霊流しについて書いていた。
僕もテレビを見て、妹と同じように弟のことを思いつつ、生まれて初めて、精霊流しの意義を知った。

リンク: 手先・口先 : 魂を送る日.

ニュースで長崎の精霊流しの映像を流していたところを見ると、8/15はお盆に帰ってきていた先祖の霊を、再び彼岸に送り出す日だったらしい。
精霊流しが、初盆を迎えた故人のための祭事だというのも、そのニュースで初めて知った。なるほど、だから「♪去年のあなたの思い出が…」となるのか。

日本の慣習に従うなら、今年は兄の初盆だった。
何の実感もない。兄は今でも赤坂で元気に働いているんじゃないか?
そうだったらどんなに良いだろう。

続けて妹はこのように書いている。

兄の魂は戻ってきていたのか。魂は存在するのか。そんな不確かなことなどどうでも良い。ただ義姉や両親に慰めを与えて欲しい。

7月に札幌で妹と会ったときには、「不確かなこと」を語ってもしょうがないと言っていたのは僕のほうで、妹はまだ魂の存否の問題にこだわりをもっていたようだったが、少し気分も変わってきたのだろう。

「魂は存在していて、祖父母その他親戚のみんなとともに、あの世で仲良く自分たちを待っている」という前提に立つと、若くして亡くなった弟の場合、みんな年長者ばっかりで、肩身が狭いだろう、とか、札幌ではそんな馬鹿話もした。

たしか妹が生まれるときだったと思うが、僕たち兄弟の面倒を見るために祖母が我が家に滞在してくれていた。母と妹が無事退院してきた後、弟が母にぽつり、「もう『おつけ』って言わなくていい?」と聞いた。祖母は味噌汁のことを「おつけ」と呼んでいたので、弟は気を使って、プレッシャーを感じながらも「おつけ」という言葉を使っていたらしい。

今週はこんなこともぼんやり考えていた。前世に属していたコミュニティの習慣にしたがうのがあの世でのしきたりになっていて、お盆の時期には、元日本人だった魂がおおむね帰省してしまうんだったら、一応そのスケジュールにあわせて迎えてやったほうがいいんじゃないかとか、でも弟の場合は日本人の慣習に染まりたくないだろうから別にいいんじゃないかとか。親戚づきあいという点で言うと、韓国のチュソクにも付き合ったほうがいいだろうかとか。

そういえば14日に、実家のパソコンの調子が悪いと、母から連絡があった。あのパソコンは弟が設置したものだ。世間並みに「お迎え」をやってくれよっていう意味かも。

一人消え二人消え、最後には「お迎え」をねだれる人も誰もいなくなる。まあ、生き残った人が想像していろいろ言っているだけのことだ。

Everybody's Changing, Hirosaki Neputa

うまく撮れなかったが、今年の弘前ねぷたの見送り絵で、妙に印象に残っているもの(見送り絵は去り際に見えるっていうこともあって、どこのねぷたのものかは覚えていない)。読み取れる後半部分には、こんな風に書いてある。

父が消え、あたしの妹が消え、弟が、そして最後の最後に母が消え、記憶がぼんやりと霧の中をさすらっているように記憶が自分の中で消滅していく。。。

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