弘前市立博物館の弘前ねぷた展

Heads on Public Display, Hirosaki Neputa

一家でねぷたを見た翌日4日、両親、上の妹と弘前市立博物館の弘前ねぷた展へ行ってきた。ねぷたの館ねぷた村に比べるとかなり地味で、マニアックな展示なんだけれども、ねぷたに関する理解は格段に立体化した。毎年この時期に開催されていると思うので、ねぷたにあわせて弘前を訪れる方にはオススメ。昔の弘前ねぷたの観光ポスター、江戸時代以降の記録、戦後のねぷた絵師の作品などが展示されていた。 

父の嘆きの根拠となる「まともな」ねぷたの原形は、明治以降の近代になってから徐々にできあがってきたのではないかということ。

ねぷたの起源は、蝦夷征伐にきた征夷大将軍坂上田村麻呂だということになっているが、記録として残っているのは、江戸時代の津軽藩のものが最初のようで、
江戸詰めの津軽藩士が国元の祭りを見て感動して書き残したものと、津軽藩が藩士に対して出した「通達」が展示されていた。後者の「通達」がなかなかすごく
て、
A. 「武士たるものが、ねぷたのことで、町人に金をせびるな」
あるいは
B.「ねぷたはそれぞれの町内の中でやれ」
という内容。今も祭りのために町内で寄付を集めるという慣習はあるが、どうもそういう名目で町人にお金を脅し取るようなことが行われていたようで、それも町内だけでなく隣町の町人も脅されていて、それをやめさせようというのがAの趣旨。
ねぷた祭りが町同士の喧嘩を頻発させていたというのは有名な話。それを防ぐため、町の中だけでそれぞれ祭りをやるよう、藩が説諭するための通達がB。しかしこの通達は全然守られなかったようだ。
この「喧嘩」の風習(?)は明治以降も根強く残っていて、昭和10年ごろまで続いていたと書いてあった。弘前ねぷたの絵で、生首、さらし首は定番中の定番なのだが、どうもそれはこの喧嘩の風習に関係があるようだ。つまり暗闇で相手の町内を威嚇するために、いかにもおどろおどろしい絵が描かれたわけだ。現在のねぷたでは、表側の「鏡絵」にも首を切られた「青キャラ」が脇役で参加していることが多いし、裏側の「見送り絵」の場合の場合、真ん中は美人画だが、その周りには、首を並べているようなエグい絵を描くのが王道だ。

Heads on Public Display, Hirosaki Neputa

最近は、仏教的なもの、桜、といったマイルドな路線が増えてきたような気もするが。また真ん
中の美人画でも、美人が生首をつかんで、顔を覗き込んでいるものもある。「美人と生首」というのは、かつてブームだったことがあるようで、過去の複数のねぷたで使われていたのを見かけた。

おそらくこの喧嘩文化の衰退と前後して、以前から描かれていた葛飾北斎葛飾戴斗(北斎の弟子)にならった画風が洗練されていく。展示によると、この方向性を確立していったのが、戦後活躍した竹森節堂や石沢龍峡といったねぷた絵師で、その後その画風が長谷川達温など後の世代に受け継がれていったようだ。子供の頃多くのねぷたに鏡絵を書いていた長谷川達温さんは、実は弘前市内の寺の住職で、すでに89年に亡くなっていたことを知った。

★ 実は鏡絵のテーマはそんなに多くない
今年のねぷたでは、水滸伝の花和尚、一丈青、三国志の関羽をテーマにしたものがすごく多くて、バラエティがなくなったなあという感想を持ったのだが、どう
もそれは錯覚だったのかもしれない。我が家には葛飾北斎の画本があり、子供の頃テレビでは人形劇の三国志をやっていて、さらに三国志演義も読んでいたの
で、みんな三国志には詳しい(この研究熱心さにおいて、僕は上の妹にかなわない)。子供の頃はねぷた絵に出てきた題材のストーリーを、北斎本や「演義」を
めくって調べたりしていたのであるが、それを思うと、今回はテーマがパターン化していて、つまらないなあと思ったわけだ。
しかし竹森節堂をはじめとする過去の作品でも、関羽や花和尚のパターンは非常に多いし、女性も、一丈青か祝融夫人と決まっていたようだ。一丈青や祝融夫人
は、なぎなたを振り回す「男まさり」キャラなので、使いやすいのだろう。もちろん見送りの場合には、「ちょうせん」などの美人キャラも多く登場する。
今年のねぷたで他に見かけたのは、張飛や趙雲といった三国志の蜀の名武将がいくつか。夏候淳もいたかな。変わったところでは、諸葛亮の「泣いて馬謖を斬る」があった。「諸葛亮自身が切ったわけじゃないでしょ」と誰かうちの家族が細かい突っ込みを入れていた。

Hirosaki Neputa

老兵の黄忠もあったかな。たしかに昔から、劉備、曹操、孫権は出てきていないかもしれない。

弘前市立博物館のあとは、弘前市樹木にあるギャラリー森山のねぷた展へ。ギャラリー森山は郊外の古民家を改築して作られたギャラリー。こちらは市立博物館
よりもさらにマニアックな展示で、近代のねぷたのテーマになったと思われる画本、かなり昔に作られたミニねぷた、子供用のねぷたなど。カードには弘前ね
「ぶ」たと書かれていた。いつ誰が「ねぶた」と「ねぷた」を区別しか始めたのだろう。昔は一緒だったわけだ。

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