窮屈な通夜までの顛末

naoya and sake

なぜかNewsingに「 「お葬式は無駄」を信じてはいけない – [葬儀・お墓]All About.」がリストされていて、思わず読んでしまった。この記事の中では、葬儀を大事にすべき理由として、以下を挙げている。

  • 現実を受け止める手助けをする
    「ウソだ……」死を目の前にしたとき、誰もがそう思うことでしょう。儀式はこの出来事を現実のものとして受け止める手助けをします。感情的に受け止めるにはまだ時間がかかりますが、事実を確認することは悲しみを乗り越えるための第一段階として非常に大切なプロセスです。
  • 友人や家族が集まるチャンスを与える
    集まった友人・知人は遺族の心の支えとなります。
  • 精神的な支えを得ることができる
    宗教的な儀式を行うことによって、精神的な支えを得ることができます。
  • 故人の人生を振り返る助けとなる
    故人と向き合い、過去の思い出を振り返ることができます。
  • 大きな変化・区切りを認識する
    人間は、変化や区切りをつけるためにさまざまな儀式を行ってきました。儀式は次へのステップへの足がかりとなります。
  • 故人に対する気持ちを他人にわかってもらう機会を与える
    故人に対する思いを発散できるチャンスでもります。

教会に対するリスペクトとして、「精神的な支えを得ることができる」のことにもふれるべきかもしれないが、今日は「故人の人生を振り返る助けとなる」と「友人や家族が集まるチャンスを与える」について。

今回の弟の葬儀では、まず教会選びに苦労し、父の古い友人が司祭をされていることもあって、目白聖公会にお願いすることとなった。歴史のあるすばらしい教会であった。150人ぐらいは大丈夫という話で、亡くなった当日からバタバタと、葬儀の規模等々が話し合われた。

その際に「だいたい何人ぐらいがいらっしゃるか」ということが当然話題に出た。親族関係でどれぐらいの数の人が来てくれそうかは、この時点である程度想像がついたが、全く分からなかったのが、会社関係の知り合いと大学の友人がどれぐらい来てくれそうかということであった。

大学の友人については、mixiから「細い糸」が伸びていて、そこから連絡を広めてくれた(これについてはこの前書きかけて途中でパソコンがフリーズしてしまった。項を改めて書きたい)が、なにせ大学時代の友人である。僕らもその広がりの度合いがわからないし、奥さんもそこまで交友関係を把握していない。皆さん連休明けで仕事もあるし、そんなにたくさんの方は来てくれないだろうと予想した。まあ5人ぐらいかなあと、根拠のない予想となった。

会社関係についても、僕らは全く予想がつかなかった。GW最終日の日曜日案を避けて、わざわざGW明け初日の月曜日を通夜にすることにしたものの、なかなか連絡は行き届かないだろうし、休み明けでお忙しいだろうから、恐らくそんなにたくさんの方は来てくれないだろうと予想した。特に、以前一緒の職場にいた彼の奥さんが、「せいぜい10人ぐらいじゃないか」と予想したので、まあそんなもんだろうということになった。なにせ家族の中では「気難しい癇癪もち」と評価されている弟であるから、たしかに職場でもそんなに人望は集めてないんだろうなあと、両親と兄妹ともに納得した。

葬儀屋さんは、「人数が増えることもあるので、外に受付用のテントを設けましょうか」とか、いろいろ提案してくれたが、僕は見積もりを見て、不要と判断した。

「見通しをあやまって、教会の中に入りきれない事態になったら、それはそれで、みんなのいい思い出になるよね。」

と、僕は冗談をいい、家族一同が「そうだよね」と笑った。

結果的には、本当に「いい思い出」になった。通夜だけで300人の方がいらしてくれて、受付に列ができて、混乱したと聞いた。「いい思い出」なんていって、受付をお願いした方々やお待たせした方々には申し訳なかったけれども、しかし悲しい葬儀の中にあって、本当にうれしい誤算であった。仕事や大学で彼と知り合った方々が、予想をはるかに上回る数で集まってくださり、慣れない教会のしきたりにつきあってくださり、家族とともに本当に涙を流してくださった。さらに通夜に来てくださった方の多くがまた、翌日の葬送式にも来てくださり、出棺まで見送ってくださった。

それだけの数の方々に来ていただけるのであれば、むしろ終わった後に軽い「宴会」をやるべきであったかもしれない。実際立ち話ではなく、もっとゆっくりお話をうかがいたい方々がたくさんいらっしゃった。少人数の悲しいお通夜の中で、ビールや料理を出しても、誰も手をつけないだろうなあと、正直思ったのだけれど、あれだけの数の人が、「ひさしぶり」な雰囲気で集まってくれたのであれば、そこで故人のことを振り返りつつ、旧交も深めつつ、少し飲んでいっていただくのもよかったなあと、結果的には反省した。「いらないなあ、それは」と弟はいうんじゃないかと、僕は想像したんだけど。

naoya and sake

実はその後、シアトルにいる、彼の同僚Nadiaさんから送られてきた写真に、上のようなものがあった(他の方も写っていたりして、まだFlickrにあげるものをセレクトしていないが、自然な写真でいい表情のものが多い。上で見切れて写っている方、ごめんなさい。でもたしかにいつも、こんな感じで杯を持っていた。非常に懐かしい一枚だ)。これを見て、「あ、こんな感じで、最後みんなでわいわい宴会にしてほしかったかなあ。」と、後になって思った。

歳をとってから亡くなると、故人の主義主張はだいたいはっきりしているものだと思うが、今回のようなケースでは、結構迷いがある。だいたい「故人の思い」を考え始めると、故人はそんなことを考える機会を持たずに逝ってしまっただろうとか、余計なことを考えてしまい、また悲しくなってしまう。

ともあれ、今回の葬儀で出合った方々には、非常に感謝している。葬儀の後も、ブログやメールで「故人の人生を振り返る」活動を支援してくださっていて、だからこそ僕も、少し冷静にしかししつこく、弟の死を話題にし続けることができている。願わくば、肩肘張らない一周忌のようなもの(いや節目にこだわる必要もなく、適当な折に)を、皆さんとともご一緒し、彼が見逃した「インターネットのその後」とか、彼が見逃した「MSNのその後」とか、そういうお話もしてみたいと、切に願うものである。

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