見えてしまう淵


「心の病」を抱えた学生が、僕を頼ってくるケースは、ほとんどない。そういうことに理解のある人間に、僕は見えないのだろう。実際、経験に基づいて共感を表明できるケースは少ない。

授業で作ったブログは8-9割がゴミとなり、使われないままになってしまう。「無理やり作らされたものは活用されない」と、去年の「統合メディア論」の後、指摘された。それはその通りだと思うが、だからやめるべきとはあまり思わない。

で、実はその授業で作った学生のブログのうちの、残りの1-2割に、学生たちの心の深い淵を覗き込むようなものや、個人的な心情を書き綴ったものがぽつぽつある。学生たちは、恐らく僕がもう見てないと思っているのだろう。前年度末に退学した学生の心のうちも見えた。授業中無口で座っている学生の心の奥底にあるものも見えた。

さっきもまたもう一人、対人関係に悩む学生の心の声を覗き込んでしまった。

アドバイザーの教員に、この淵は見えているのだろうか。見えているのならいいのだけど、僕だけがのぞいてしまっているのだとすれば、彼/彼女に手を差し伸べられるのかどうか、実はあまり、自信がない。

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