J-CAST ニュース : 鳥越氏「辞任説」を否定


昨日今日で、ネット上では2ちゃんねるの閉鎖危機問題とともに、鳥越俊太郎氏がオーマイニュース編集長を辞任するのではないかという話題が、ネット上で飛び交っている。J-CASTから昨晩出た記事は、以下の通り。

リンク: J-CAST ニュース : 鳥越氏「辞任説」を否定.

   市民参加型ニュースサイト「オーマイニュース」の鳥越俊太郎編集長が辞任する、とニュースサイト「JANJAN
が2007年1月11日に報じたことを受けて、オーマイニュースは同日、「事実関係に誤りがある」とする文章をJANJANに送付、記事の削除と謝罪文の
掲載を要求した。JANJAN側は「記事は十分な取材に基づいている」と譲らないが、鳥越氏は「辞任説」を否定している。

経緯としては上の説明の通りで、「OhmyNews:【追記】一部のインターネットメディア記事について.」を見ると、鳥越氏は辞任を否定しつつも、
「以前から、「後任を探しておいてください」という依頼はしてきました。」という表現もあり、そう遠くない時期に辞任するであろうとJ-CASTは指摘している。

鳥越氏の去就やオーマイニュースの今後、ということよりも、既存マスコミと一般ブログの間に、どんな中間的なメディアを置いて公共的な言論空間を維持発展させていくのかの方が、より大きな問題なんだろう。

切込隊長BLOG(ブログ) – 鳥越俊太郎さん、お疲れ様でした.」にこんなことが書いてあった。

百家争鳴ではないですけど、ひとつの意見として、あるいは主張としての市民団体の発言は、もっぱら朝日新聞などの特定の媒体を通してしか目にすることが無
く、彼らが彼らの言葉で事象を捉え、交流している場がネットにあまり存在しないのは片手落ちな気がしてなりません。彼らの主張に賛成はしないけれども、彼
らが何を考え、どう主張しようとしているのかを知ることもまた、開かれたインターネットの一形態として意味があるように感じます。

つまり「サヨク」的な発言がネット上には流れにくくなっている、ということを言いたいわけだが、なんでそうなるのか。その原因をネットとリアルの「空気」の違いというべきなのか、ネットユーザとリアル言論人の「世代」の違いととらえるべきなのか。恐らく両方なんだと思うが、いずれにせよ、「サヨク」的な発言に何らかの優位な推定を置く文化が、それとなく上の世代とかネット以外の言論空間には漂っているのは確かだと思う。大学教員という職業をやってると、いまだにそういう空間の中に身をおくことが多いのだが、リアルの世界で、「サヨク」優位原則に違和感を表明する人はあんまりいない。だいたいスルーして終わっている。ネットでは、この「スルーして終わって」いた違和感が、どんどんネットの中で表明され、それが場合によっては「炎上」につながっている。

こうした攻撃を行う動機は、愉快犯もいるし、上のような現状への不満を表明するものもいるのだが、いずれにせよ、リアルでの不満との関連がある以上、匿名で、それに便乗したある種の悪意が、表に出やすい構造になっている。攻撃される側は、あいつらは卑怯で、対抗言論に値しないと断じ、対話のチャンネルを閉じる。僕は、オーマイニュースが去年行って不興を買った一連の措置の背景を、このように理解している。

でもはてなブックマークなんかを眺めていると、そんな悪意ばっかりでもなく、むしろ冷静なコメントのほうが圧倒的に多いし、すごく短いのに示唆に富んでいるものも見かける。これは愉快犯で「炎上」をやらかす匿名言論とは、だいぶ違うよなあと思う。たしかに批判するほうは匿名に隠れてやり放題なので、「評価する側/される側」という、今までとは別の非対称性があって、評価される書き手側はビビリがちだけど。 

# 昨年暮れの情報ネットワーク法学会で、佐々木俊尚さんが、「一般雑誌に書く原稿より、ネットに書くほうが、下手なことを書くとはてなブックマークとかで叩かれるので、かえって気を使う」と言っていた。彼のようなネット世界のライターとして成功し、いろんな論争を行ってきた人でも、そういうこと思ってるんだなとちょっと新鮮だった。

注目されるメディアになるならば、愉快犯がもたらすノイズと戦うことは不可避だ。コメント欄を閉じたって、ブログスフィアの中でのそのメディアに対する評価は、あからさまに出てしまうのだ。したがって、こうした匿名言論とうまくつきあいながら、「市民メディア」っていうもののあり方を、もう一度オーマイニュースには模索してもらったほうがいいんではないかと思う。僕としては、空間を維持発展させるための仕掛けのほうに、最近関心が向いている。

1 個のコメント

  •  匿名の陰に隠れることによって「恥」の概念が麻痺している人たち相手にどんなに言葉を費やしても大抵の場合無駄ですから、そういう徒労感を市民記者に押し付けていたら、市民記者のなり手などいなくなると思うのです。
     「対抗言論」たって、彼らは、自分の考えとは相容れない考え方を持っている人々がうんざりして書く意欲を失えばそれで目的を達成するし、連日下品なコメントが投稿され続けることによって読者の側が嫌気をさして離れていっても目的を達成するわけですし。

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