@nifty:NEWS@nifty:「クール ビズ」…ノータイ、ノー上着の呼び名発表(読売新聞)

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マレーシア、ネパール、インドネシア、スーツにこだわる人は少ないですね。ネクタイ、上着をあんまり着ない僕からいうのもなんだけど、環境問題もそうだけど、それ以外の労働生産性の低下などいろいろ損失も大きいですよね。稚内には、暑くて労働生産性が下がる日はほとんどないですけど。
「Cool Biz」というネーミングは公募されたものだそうで、定着するかどうかは別として、結構思い切ったものを選んだなという印象です。さんざんコストをかけてネーミングを考えたにもかかわらず、まったく定着しないというのは、予算の無駄遣いなのですが。こういうのは、ノリで思い切ったものを試してみることが大事じゃないかと思います。
「最北端は最先端」も、本部は以前「最北端」ですが、サテライトが走り出した今日、そろそろ思い切ったものを考えませんかねえ。

WISCPAの課題

Javaを学ぶ丸安ゼミ、映画を学ぶ岩本ゼミと合同の勉強会が、スタートした。
勉強会の名前はWISCPA: Wakhok Integrated Seminar for Collaboration and Partnershipで、音の響きで多少アレンジを加えて「ウィスパ」になった。とりあえず仮称ということで。ささやきあう研究会も気持ち悪いが。
さっそく課題になったのが、難易度の設定と発言しやすい環境作り。
結局、普段の授業と同じことなのだけど。
まったく違う領域を学ぶ学生同士が相互に議論を喚起しあう、という趣旨からすれば、レベルを下げるのはあまり好ましいことではない。プレゼンの仕方を工夫すればいいだけのことだ。だけれども、それも程度問題なのかもしれない。1-4年全員が参加する以上、下の学生たちの理解度が下がるのは、ある意味当然予測されることであり、そのフォローをある程度考えなければ、長時間の議論に耐えられない。
発言のしやすさを実現するのも難しい。ある意味リラックスした雰囲気で上級生たちは自由に発言していたが、1-2年が同じ感覚を共有できたわけではない。昨日の参加者はたかだか40人程度だが、40人でも知らない先輩もいるところで発言するのはなかなか勇気が要るだろう。
昨日選ばれた「運営委員」の間でも、意見は分かれているように感じた。これから1ヶ月の間に次回の内容を決めていくわけだが、とりあえず折衷的なやり方として、1-2年でも理解可能なセッション、3-4年中心のセッション、という組み合わせで進めるしかなさそうだ。結局、内容だけじゃなくて、誰がしゃべるかでも難易度は変わるわけだが。
上級生からのコメントとして、「1年の頃からこういうのをやってたらなあ。。」という声があった。分野をまたいだ研究会がこれまで成立しなかったのは、教員だけの責任だとも思わない。学生たちが自主的にそういうことを考えてもよかったはずだ。とはいえ、過去の経緯を振り返ってみると、自分が働きかけるべきタイミングもあったわけだし、責任を感じるところだ。でも、それだけ、上級生にはWISCPA(仮)の意義は伝わったということだろう。

英語の需要と要求と供給

プレゼンテーションのための英語表現を学ぶ勉強会を始めた。
場面ごとに必要な表現方法を学び、実際にプレゼンテーションを行うための作文を自ら行ってみた。参加した学生は2名。僕と留学生のGタムがコメントをつけた。まわりで聞いていた学生たちは、すごいことやってると感心している風だったが、別にたいしたことはやってない。こういうのは、むしろ授業に積極的に取り入れて、「要求」をつきつけたほうがいいように思う。
WAKHOKの英語学習に対する僕の考え方は、学生の現在の平均的英語レベルにあわせて授業を行うのではなく、専門教育に必要な英語をそれぞれの場面で、要求してしまえばいいというもの。少々荒っぽいのかもしれないが、そこはやり方でカバーできるように思う。学生の平均的レベル、あるいは苦手な学生のレベルに合わせて、限りなくレベルを下げて文法の確認をするよりも、案外いいのではないかと思う。「まず苦手意識を克服しよう」という狙いに反して、高校までの「トラウマ」に引き戻される学生もいるだろう。逆に、幸いにして苦手意識を克服したとしても、そこで得られる能力は、とても実用に耐えうるものにはならないだろう。まずは具体的な到達目標を決めて、そのために必要なパーツをそろえながら文法も確認していくというのはどうなのだろうか?
僕は、英語学習においては、「必要に迫られて」学ぶこと、「背伸びをして」学ぶこと、これを繰り返してきた。帰国子女の英語力に圧倒されたり、仕事で「英語ができない」とはいえない状況に追い込まれたり、そういう場面で「背伸び」を繰り返しながら、少しずつ必要な表現を学んできた。僕の弱点は、そうした場当たり的に学ぶ時間だけではなく、本格的に強い自覚を持って学ぶ時間を十分確保していないということにあるが、こうした経験が自分に学習の必要性を自覚していることは確かである。自分自身最短の道を通ってきたかどうかはわからないが、「必要は改善の母」になるだろう。
学生たちは、「必要」を自覚していない。あるいは自覚することから逃避できるようになっている。ここでも、WAKHOKの一点突破主義は、免罪符を与えている。IT専門教育から入って、そこで英語を含む他分野の必要性に気づかせ、基礎教養への関心に戻してやるというプロセスは、果たして機能しているのか。ここでもやはり、教員がもっと議論すべきは、専門教育の先進性の追求ではなく(少なくともそれだけではなく)、教養を含む全体的カリキュラムの有機的連携のあり方だということになる。しかも、そこでの有機的連携の議論は、あまり大上段に構えた話から入るのではなく、学生たちがITをコアにして学ぶということを前提に、英語力、プレゼンテーション能力、コミュニケーションスキルといったトータルな能力の必要性をいかに自覚させ、身につけさせるかということから出発すべきだろう。大学教員は、自分の専門性を発揮することをまず第一に守るべき利益と考えるので、そうした利益と全体目標がずれた場合、結局どこまで教員が自覚的に自分の権益を譲り渡すか、ということになる。教員はお互い相手の立場をわかっているので、教員組織がこの話を議論しても、たいていはさんざん議論したあげく、現状維持に落ち着いて終わってしまう(ここは事務組織やトップの出番なんだと思う)。
SFC CLIP「English Service Centerがオープン -授業外の英語学習をサポート」.という記事を読んだ。こういう体制作りの話になると、たいてい「うちは小さな大学なので、ここまでの体制は取れない」という話になる。そうだろうか。極端な話、基本的な文法などの英語学習はどんどんWBTにしてしまえばいい。そういう仕掛けはいまいくらでもある。残るのはサポートだけ。その分英語の教員は、あるいは別の専門教員も含めて、「英語で○○をする」というレベルに、取組みの中心をシフトさせたらいいことではないのだろうか?
「IT一点突破主義」のWAKHOKの教育は、国際的場面で評価を勝ち取る潜在性を持っていると思う。本気でそのための準備をすれば、「田舎」にあることなんて吹き飛ぶぐらい、大きく脱皮できるはずだ。
でもそのための足場を作る段階で、極端な「IT一点突破」に走ってはいけない。学生の立場にたって、彼らの将来像を見据えながら、「ITプラスの数点突破」ぐらいに目標を置くのがいいだろう。教員にはそれぞれの研究という守るべきドメインがある。僕にもある。だから、教員組織が、この作業で改革するための力を発揮するのは難しい。では誰が発揮するのか。自明である。

3ゼミの抗争と構想

ネパールの話、まだ書ききってないのだけど。
新学期が始まり、土曜日に新入生向けアッセンブリが行われた。
1年生向けのゼミの説明会も開催され、いつもの通り、一見堅そうな我がゼミの客入りはイマイチ。午後になって、学生自治会主催のゼミごとのプレゼン。詳細はPapu’s-Blogに書かれているが、なかなか盛り上がったように感じた。あれで1年生が疲れてなければもっとよかったのだけど。
一戸ゼミは勉強の話はそこそこに、「理想のキャンパスライフを実現する一戸ゼミ」というテーマでプレゼンを行った。
「稚内で合コンはないでしょう」
「いや一戸ゼミにはあります!。。。」
というアプローチだ。稚内という特殊な環境にあって、楽しく学んでいる集団もいるんだよということを、うまく伝えてくれたように思う。
このシナリオはすでに、丸安、岩本の二つのゼミには漏れていて、先に発表したこの二つのゼミからいろいろと愛情のこもった言及をいただいたが、そこでシナリオを一部修正した一戸ゼミの二人のプレゼンターはよくがんばり、見事なアドリブを披露した。二人も着実に成長しているなあと、ユーミーと二人、目を細めた。
「理想のキャンパスライフ」の映像化には、そこまでしなくても、という声もあり、ユーミーの卒業生の言葉とアプローチが同じだという声もあり。しかし、僕の立場から見ると、今回の取組には上級生にとってもそれなりの意義があった。そこには「右も左もわからない」新入生という聴衆がいた。彼らはきっと大学生活に関する何らかのイメージを持っているはずだ。そしてそれはおそらく、この数日を過ごした稚内にはないものを含んでいる。自分たち自身そういう経験をしてきた学生たちが、聴衆がおそらく考えていること感じているであろうことを想像して、それにさおさす形で自分たちのことを紹介した。このプロセスに意味があるのだ。もちろん、研究内容を学生の立場から伝えるというのは、教員が説明するのとは別の意義があるだろう。でも、1年生は疲れていた。すでに一度教員から説明があった。学生は教員の影響を少なからず受けているから、多少視点が違うにせよ、説明はどうしても重複する。それから、研究内容をきいたときの1年生にとっての印象もある。
マーケティングにおけるポジショニングと表現手段の選択を考えて、今回のアプローチが選択されたわけだ。「小さな世界の小さな出来事」には違いないけれど、こういう小さな積み重ねから、学生たちが大きく飛躍して言ってくれればと思う。
丸安、岩本、一戸の「抗争」は、アッセンブリ後のワッフルデーで「手打ち」が行われ、今週からはかねてから計画されていた3ゼミ合同研究会がスタートする。お互いがお互いのやっていることを認め合い、高めあえる研究会に育っていってほしいものだ。

ネパールのCollegeたち

28日:大好評のプレゼンから一夜明け、翌日も余波によってスケジュールがばんばん入ってきた。29日予備日もこのままで埋まってしまうのか?
朝一番で、昨日の会合に来ていた人の親族が、面接に訪れる。かつて某種族の王様だった家らしく、一見して裕福そうな人たちだった。現在はIT系企業を同族経営しているらしく、子息の英才教育として、WAKHOKに送り出したいということのようであった。ネパール語で面接していたため、詳細は不明。
20050328_011Nagarjuna College:その後、前日のレセプションで「ぜひうちに来てくれ」といわれたNagarjuna Collegeへ。場所はわかりにくく、設備も非常に貧弱であった。しかしケンブリッジの提携校。すでに歓迎のスピーチ、花束、おみやげなどが用意され、大変な歓待ぶりであった。設備は屋上の簡易な部屋に10台程度のPCがダイアルアップで接続された状態。もうすぐケーブルがくるといっていたが。
20050328_013教育省:続いて教育省へ。古めかしい歴史ある建物。中は古い。行政があまり派手なビルを建てるというのはよくないと思うけれども、ここで仕事をするのはきつそうだなあという印象。Gタムがいないので、ここでは僕がなんちゃって通訳をつとめる。ま、一応意思は伝わっただろう。
Lord Buddha Educational Foundation:
Mulpi International College:
ポカラ:

卒業生凱旋講演

ネパールから無事帰国。
公式レポートを書いたので、こちらに非公式レポートの残りを。
27日:朝目覚めると、2人のGタムが隣のエクストラベッド(シングル)を分け合って寝ていて、ちょっとびっくり。ネパール人にとっては普通の光景だそうだ。
インターネットカフェ(といってもPC2台しかなかった)で、配布資料の印刷。その後学長とともにタメールのタイ料理「インヤン」で昼食。普通に辛くしてくれっていったのに、日本のタイ料理店よりも甘いソムタムが出てきてがっかり。帰り道、後日訪問するMICに行っていたGタムが、MIC訪問中の哲学の先生を連れてきていたので合流。彼はノマド哲学者なのだそうで、中国語で本を出していた。奥さんは北京での元教え子。恐らく一回り以上年下だろう。この先生は、セメスターごとに中国やネパールを渡り歩いているようだ。たくましい。
一部印刷忘れなどもあって焦ったが、なんとかプレゼン会場のハイアットへ。この会合はComputer Association of Nepal(ネパールコンピュータ協会、CAN)のミーティングで、今回は「Wakkanai University」との共催ということになっていた。文部次官など政府関係者も集まり、かなりものものしい雰囲気。学長はゲスト代表ということで、政府関係者や司会と並んで、会場前方の「来賓席」へ。Gタムの緊張感が高まる。
WAKHOKの発表は三番目。まず学長から短いスピーチ。関係者への感謝と、大学の紹介、訪問の目的を述べた上で、詳細をWAKHOK初のネパール人留学生Gタムに譲ると締めくくった。その間、プロジェクタの接続がうまくいかず、一戸は壇上でドタバタ。結局CANのPCを借りてのプレゼンになった。
Gタムのプレゼンは、WAKHOKのIT教育の特徴とそこで行った自分の研究をメインにして、最後に協力内容について提案するもの。資料を英語で作成した上で、「みんなネパール人だし、ネパール語でいいでしょ」といってネパール語で発表した。学部卒業生の発表が、こうしたミーティングでどれだけ評価されるのか、彼自身もかなり不安げであったが、実際にはかなりウケた。「この研究で学長賞を受賞した」という部分については、大きな拍手が会場で沸きあがった。質問も多数(でもネパール語)。
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レセプションでは、名刺交換の嵐。学長、僕、ゴータム、3人がそれぞれに、多数の関係者に取り囲まれた。Japan Moneyに対する期待もあるのだろう(Moneyの面で僕らに期待されても困るのだが)。だが、それとは別に、多くのCollegeから、今までアメリカ留学をメインにしてのだけど、ぜひ日本にもチャネルを広げたいという趣旨の発言があった。それだけ門戸が閉ざされているということだと思う。
「世界の中の日本」という章が、子供のころ社会の教科書にあった。「国際社会の中で席にある役割を」とか「アジアのリーダーとして」とか、耳障りのいい言葉を聞くことも多い。しかしそんな美辞麗句通りに、事は進んでいない。実際には、ビザ取得には高いハードルが課されていて、相当に高い日本語能力、べらぼうに高い預金残高が求められる。結局日本は、日本語で暮らせるごくごく少数の裕福な外国人しか、助けるつもりがないのだ。それは言い方をかえると、日本人の生活空間に日本語以外の言語が多数のさばることを望まないということであり、単純労働の市場を外国人が荒らすことを望まないということであり、貧しい人たちが入ってきて治安を乱すことを望まないということでもあるだろう。そういう痛みを分かち合う「リーダー」になりたくはないということだ。えばってにこにこしていたいのだ。
レセプション終了後、ホテルへ。Gタムはこの日も、親戚の家に向かった。ホテルに戻った後、一人でタメルを散歩。すでに街は暗くなっていて、首都カトマンズは、弘前か稚内かというほど。ぐるっとまわってきてホテルに戻ると、敷地内のカジノだけにこうこうとネオンが輝いていて、中を覗くとギャンブラーたちの血の気が、フロアに充満していた。
(つづく)