香港写真集2

20041215_025
12月の香港では、ビルの外壁を使ったイルミネーション、ショッピングモール内の飾りつけ、皆がさまざまな工夫を凝らして、客をひきつける努力をしています。
これは、香港中環にあるIFCモール内の金ピカサンタ

小さな世界の小さな出来事

稚内を離れてはや一週間。
遠く離れてもメールはやってくる。
稚内で何が起こっているかもだいたいわかる。
香港では人も街もなんでも活気がある。
人と人とのつながりから、どんどん新しいアイデアが生まれる。
なんでも金・金・金、というビジネス志向が強い街なのだが、これは稚内とは正反対で非常にいい刺激になる。
妙に保守的になって、どうでもいいことや、この際捨ててしまったほうがいいようなことを延々議論してみたり、卒論を先送りにして、自分たちで作ったイベントに奔走してみたり。
稚内を離れて冷静に考えてみれば、そういう選択をするとは到底信じられない。いや自分も選択に参加しているとすれば、自分もそういう選択に参加してきたということが、信じられない。
このギャップを知ってしまった僕は、何をすべきなのだろうか。
学生に伝えたい。。。伝わらない。
同僚に伝えたい。。。これもあんまり伝わらない。
環境が人を作るのか、それとも人間どこにいっても変わらないものなのか。
稚内に来る前の僕は、後者の立場だった。ネットワーク社会では、どこに住んでも平均化された情報を消費することができるし、それ自体がいいことなのか悪いことなのかわからないけれど、少なくとも自分自身は変わらずに前を向いて進んでいけると思っていた。まだそのつもりはある。しかし、周りの環境によって作られているんだなと感じる瞬間が増えている。
まあよく考えてみれば、答えは簡単。あまり人の考えと妥協しなければいいのだ。
1.学生に対しては、自分なりのアプローチで最大限のことをする。でもそれで自覚の現れてこない学生をつかまえて、座らせて、説き伏せて、がんばらせる(あるいはがんばらせた体裁をつくる)ことまではしない。基本は「大人」扱い。
2.同僚に対しては、最大限自分が最良と思われる意見を述べる。しかし最良だというのは自分の主観であるので、絶対相手が間違っていると思っても、その意見が通るかどうかにはあまりこだわらない。しかし納得できないことについて、自分の仕事としては引き受けない。ここでできる限りロスを防ぐ。自分が最良と思われることで、他人と戦わなくても実現できることはいくらでもある。まだまだ大学はいいところになる。
3.自分の将来に向けての活動を最優先する。研究活動を主とし、それ以外の実践についてもよりプライオリティを高める。なまこオンデマンドも干し貝柱オンデマンドもいいじゃない。本格中華もいいじゃない。やれることはいくらでもある。
原則は案外常識的なものだ。えー、こんなこともできてないのか。
要するに、小さな世界で起こっている小さな出来事にあまりこだわらず、自分のやるべきことだけを取捨選択して、時間を有効に使って進めということだろう。雪のことや天気のことばっかり考えていると、やっぱりだめなんだわ。

回転火鍋、熊本で紹介

夕方大学にNHK熊本放送局から電話があった。
成都の風景8で使った、回転火鍋の写真を番組で使わせてもらいたいという。別に問題ないので快諾。しかしオンエアは、見られるはずもない。
いろいろ回転火鍋の仕組みや火鍋の起源などについて聞かれた。
というわけで、これをご覧の熊本県民の皆さん、どんな内容なのか興味があるので、教えてください。
私の氏名が出典として表示されたかどうかも。いや、表示されなくても別に怒りませんけど。
しかし、なぜに熊本で?
熊本で密かに火鍋ブームが来ているのだろうか?
追記:ここに載せた写真は縮小しているので、元のデータはもう少し画質がいいですよ。>NHK熊本の方

Inspired by Yukimi’s Blog

「探究心」問題で、T先生からトラックバックがあった。同じ問題に対して、若干違う立場からのコメントだと思う。
地方の研究者には、同じ専門で議論のできる同僚がいない。
まさにその通りで、僕もその状態を4年半も続けている。
巷間言われているところでは、地方の研究者というのは、だんだん専門的な研究から遠ざかってむしろ「広く浅い」研究を志向したり、「地方の名士」となってあちこちに顔を出して自分を満足させたり、「学内政治」にうつつを抜かしたりするものらしい。僕も振り返ってみれば、それらしきことはみんなやっているような気がするのだが、まだこの三分野で満足感を得られる境地にはなっていないので、引き返せるようにはしているつもり。
おそらく「文系」に関しては、学部内で「軸」をもっと明瞭に作っていく必要があったのだろう。それは当初からあったはずだ。
しかし実態は、諸学の集合体にしかなりえていない。そもそもメディア系の文系学部や研究所は、おそらくどこも「寄せ集め」なのだが、基本はこの世界はミーハーというか、変わり身の早い人が多いのだろう、だいたい社会での流行が全体のパースペクティブを形成し、求心力となるようだ。携帯電話やP2Pやブロードバンドを軸にして、諸学が結集できる枠組ということだ。おそらくそこから先は、相互の領域には「不干渉」なのだろうけど、本を作ったり、紀要で特集をやったりして、利害関係がある種の求心力を形成していくのだろう。
僕がそういうことを企画してもいいのだけど、パースペクティブの形成においては、どうも「軸」の部分に法学が置かれることはないようだ。法学者ながらに教養があってそういう役割を果たせる人もいると思うのだが、そこまでの能力も腕力もない。
さて、じゃあ学生を育てて議論の相手に、という話だが、それは求める程度による。
たしかに「ミーハー」な僕は、ある程度は学生も関心を持つようなことを研究テーマにしているので、「最近はこういうのを研究しててさ。。。」という話はできる。
が、そこから先、専門家と話すのと同じ議論ができるかというと、それは無理というものだろう。
大学院時代、タイの大学院に留学していた人がいて、その話を聞いたことがあった。
タイでは特定の問題について、オープンマインドで、細かい論点についての解釈を議論することは少なく、どちらかというと、「知識」程度の浅い議論しかなかったという。本当のところはわからないが、今となってはなんとなくその気分はわかる気がしてきた。
去年から学生に、ビジネス著作権検定と知的財産検定の勉強をさせているのだが、これらに学生たちは非常に熱心に取り組んでいる。
検定試験の勉強をしていると、実際にはさらに追求していきたくなる問題がどうしても出てくるのだが、そこから先はオープンマインド、つまり「教わる」「覚える」という客観的知識を習得する以上の関心がなければならない。学生たちは、なかなかそこから先に進もうという雰囲気にはならないし、検定への最短コースに導こうと考える自分も、「まあそこから先はいろいろあるんだけどね。」という話で幕引きをする。
自分の学部時代のゼミでは、外交官試験を目指す学生が多かった。なので、似たような雰囲気は確かにあった。
しかし先生は、非常に豊富な引き出しから、さまざまな質問を繰り出して下さった。当時学生の何割がその話についてきたかはわからないが、僕自身が大学院に進もうと思ったのは、あのときのゼミでの議論がバックグラウンドにあるように思う。ただ、それは社会生活で必要な態度であったのかは、いまでもよくわからない。
昨今の大学教育の「実学化」は、おそらく「研究」の本質的な視点を学部教育から排斥する方向に進むだろう。
「そこから先」に進むよりは、「次の大事なポイント」に移ることを教師に要求するだろう。
それは僕が目にしている「現実」からすれば、いいことなのかもしれない。
しかし「振り返って役に立つ」ということもある。僕にとって学部時代のゼミでの議論は、「振り返って役に立つ」ことなのだが、それは僕がこの世界に進んだからこそ。
当時ゼミで学んだ仲間は、望みどおり外交官になった者もいるし、それ以外も多くは大手企業に就職した。彼らがいま、あの頃勉強したことをどう思っているのか。そこにきっと、この問題の答えの一部があると思う。
もう一点、一日あたりの学費、という話。
これはその通りなのだけど、僕も大学にちゃんと行っていなかったので、人のことは言えない。
ただ。
稚内では「学生と教員の距離が近い」という。たしかにそうだ。
しかし、そのことがそのまま「学生にとって教員が身近な存在である」と言い換えられるかというと、それはよくわからない。
ただたんに、「口の利き方」がわかっていない場合もあるし、親しげに話しかけてくる学生の後ろに、人と話すことが自体にしんどさを感じている学生もいる。
僕も感覚がおかしくなっているのだろう。妙に「恐縮」されて驚くことも少なくない。たぶんあれが平均的な学生像なのだ。
たぶん自分たちが思っている以上に、教員は学生を「支配」している。
なので、いくら「高い学費を払っているんだから」といったって、たぶん学生はそういう問題ではなく、面前にある「気後れ」のほうが勝ってしまうのだ。

転職に勝てる資格(ビーイング関東版編集部) /転職・就職ニュース – goo 求人&転職

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.com Masterと知的財産検定をがんばろうという、今のゼミの雰囲気は、とりあえず転職には役立つそうです。一般的には、転職に役立つ=就職に役立つ、だと思いますよ。