父の版画展


14日から、弘前市の田中屋画廊で、父一戸泰彦が版画展を開催している。
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父は芸術肌で、僕が小さいときから、絵画、版画、フルート、歌、写真、いろいろな芸術系の趣味を楽しんでいた。子供達、とりわけ自分にはまったく遺伝しなかった。だいたいその時々のブームがあったのだが、版画は毎年の年賀状で、かなり力の入った多色刷りの版画を作っていた。版画の多色刷りは、色ごとに何枚もの版木を用いるので、結構大変。しかし出来上がった作品は、いつも好評で、毎年年賀状をもらうのを楽しみにしているという声もあった(もちろんリップサービス込みだろうが)。
銀行員だったが、趣味の時間のほうが生き生きしていた。「昼は銀行家、夜は社会学者」といわれたのは社会学者のシュッツだったと思うが、父は「昼は銀行家、夜はミケランジェロ」、あるいは「平日は銀行家、週末は趣味人」だった。
55歳で銀行を退職し、地元弘前の建設会社に移った父は、生まれ育った町弘前の懐かしい風景を中心に、普段から版画の製作をはじめた。銀行時代の知り合いの紹介で、何度か銀行に展示をしてもらったりしていた。同じように懐かしさを共有できる人が、何枚か買ってくれたようだった。
今回は初めての正式な個展であり、そのために新しい作品も作ったようだ。主として昭和30年代を想定しつつも、岩木山、ねぷた、桜、弘前城、りんごなどのテーマは、弘前にゆかりのある人々にとって、なじみのあるものばかりである。
父は弘前の中心街にある時計店に生まれた。時計台のある時計店で、街のシンボルであった。今もときどきマスコミの取材などで取り上げられる。父は時計店を継ぐことはなく、銀行に勤めた。その間に弘前の街並みはどんどん変化し、かつての中心街は空洞化している。
人々の話す言葉は、今も津軽弁だが、昔に比べればかなりわかりやすくなった。何いってるのかわからない、早口で津軽弁を話すお年寄りも少なくなった。都会と同じチェーン店もどんどん増えている。
すすみゆく「都会化」「標準化」は、人々の閉鎖的な感覚を変えていくのであれば、決して悪いことではないと思う。しかし弘前には、桜やお城やねぷたや、何より独特の文化の香りがある。それは閉鎖的な社会の名残なのかもしれないが、かといって単なる「観光資源」としてとらえるのも一面的だと思う。古くからあるものを単に放棄するのではなく、資産になるものをどのように残していくかということを考えたほうがいい。もちろん「資産」になるものはなんなのか、それは誰にとっての資産なのか、という問題があるのだけれども。
父の版画が父の過去へのノスタルジーに終わることなく、人々にそういう視点を与えるものであったほしいと思う。
さて、これは「郷土愛の弊害」を生むだろうか。

1 個のコメント

  • 街づくり

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