4年目へのブリッジ

今年の4年生の卒業研究も、例によって遅れ気味だ。
今年の学生たちはわりとみなアクティブで、就職のみならずその他いろいろな活動に忙しく、そのせいもあるのだが、例によって卒論を書くための準備作業がぜんぜんできてない。今日は夜遅くまで大学に残り、一人一人話を聞いて、ぐったり。
「読めない書けない」という、これまでの訓練不足を補うセンスがある学生はいいのだけど、そうではない学生はいつも大変だ。じゃあ事前に訓練を積んだらどうか。まさにそのとおり。少なくともずっと下の学年から所属していた学生については、責任を感じる。
訓練といって何をやるかだが、一つはアウトラインの作成。どういう論理構成をとるかという思考回路は、自分もそれなりにいつの間にか身につけたように思うのだが、実践的にそれ自体を目的にどのようにトレーニングするべきなのか。結局僕がテクニカルライティングを勉強しなおすしかないのかな。
ただこういうのは、振り返ってみて必要性を感じるものであって、最初からやらせると学生はついてこないような。
もう一つは、この前有斐閣からきた冊子に載っていた、要約の練習。法科大学院でも、資料の電子化に合わせて、膨大な判例資料を要約する訓練をしようという話であった。「まとめるといってもどうやってまとめたらいいかわからない」といって、そのままパワーポイントに抜書きだけを羅列して、しかも中身を理解していない学生が多い。その意味ではこの取り組みも有効だろう。
さて、これを4年になってからやるのでは遅い。もっと早い段階でやらないといけない。「読めない書けない」に加えて「読みたくない」学生たちに、どうやってこういう「訓練」調のものをやらせたらいいのか。欲張らず、中身はさしたる専門性のないたわいもないものにして、要約するという作業にまず集中させたらいいのか。
稚内の学生の中には、小中高の基本科目の勉強で挫折したが、得意のコンピュータでいわば「大学デビュー」をしていきいきとやっている者も多い。それはそれで学内的には教育の成功と見られていて、実際就職でも成功するケースが多い。しかし「デビュー」してみたけれども、それほど華々しい「デビュー」とならなかった学生には、やはり上のような別の意味での基本的実践的能力をつけさせなければならないのだろう。しかし「デビュー」以前の暗い過去に引き戻されるような、いわゆる「訓練」ものは、学生の意識をむしろ下げてしまう面がある。
東京サテライトでも稚内でもそうだが、今のカリキュラムに改善点を発見したからといって、そのギャップを埋める仕事を一人でできるわけではない。勉強すればできないことではない場合が多いと思うのだが、それでは体がもたない。