情報共有


数日前の「郷土愛」の弊害には、いくつかコメント、トラックバックをいただいた。ぼかした書き方をしたのと、いくつかの論点を一度に書いたので、コメントのポイントもいろいろだった。
まず稚内にも「外から見える稚内」についてちゃんと考えている人がいる、という意見。
それには同意する。でも、その少数の良識が全く通じる気配がないというのが問題だ。それと、良識なんかなくてもなんとかなる、という楽観的な立場に稚内がいないということがまず大前提になる。「観光」がなければどうにも立ち行かないというのは、都市の構造として非常に悲観的な状況だし、その頼みの綱の「観光」をなんとかする機運もないというのは、もはや絶望的だ。で、いいたかったのは、にもかかわらず「地域に根ざしてくれ」という大学へのリクエストは無茶苦茶なのだということ。何に根ざしたらいいのだろう?そんなに何もないんだったら「大学に根ざしてくれ」とこちらからもいいたくなるというのものだ。IT産業の集積について、何か考えていただいたことはあるのだろうか?学生の起業支援なんて話は、全く聞こえてもきません。
情報共有のチャンネルを作っていくことが大事というもう一つの意見。そう思う。
GREEのサービスを使って感じるのは、非常に都会的な情報共有スペースだということ。これは都会のユーザが多いという意味ではなくて、他人との濃淡のある付き合い方や濃淡のある情報共有があるという意味だ。東京では、電車の中や喫茶店などで、いやおうなしに他人の情報が入ってくる。しゃべっている内容が聞こえたり、服装が目に付いたり。で、他人のことは大して気にはしていないのだが、ちょこちょこ意識せずにいろいろな情報が入ってくる。また人ではなくても、たとえば電車の中吊りとか街に出ている看板から入ってくる情報もある。それらはそんなに集中して情報を取り入れる対象にはなっていないが、自然に入ってくる情報として意識の隅っこに置かれることになる。田舎にいると他人を凝視していろんな情報を得る人たちがいる一方で、自分にかかわりのない情報がちょろちょろ入ってくることが極端に少ない。情報が少ないから他人のことをよく見ているのかもしれない。
GREEは友達の意外な一面がわかるだけでなく、友達の友達のことがだいたいの人となりまでわかるようになる。Blogやおすすめの本の情報もちょこちょこ入ってくる。それらは必ずしも自分の興味の範疇に入るわけではないが、まさに「意識の隅っこ」に置かれることになる。「外の世界」を感じたからといって、一足飛びに「田舎者」でなくなるわけではないが、「中吊り広告」のない街の人には、結構大きなインパクトがあるように思う。
まず稚内掲示板の書き込みに、知性のかけらもないという状態は、なんとかなるかしら。2ちゃんねるの稚内版と割り切るにしても、あまりにもひどい。

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